日本に朝鮮学校があるということ
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1945年8月15日、解放を迎えた在日同胞が真っ先に始めた事業が民族教育だった。国を奪われ民族自体を抹殺されようとした1世たちには、何がもっとも重要なのかが身に染みてわかっていたのだろう。そしていま、在日同胞の構成も生活も、朝鮮半島の状況も、日本社会も、大きく変化するなかで、日本に朝鮮学校がある意味が60年前と基本的に変わっていないのはなぜなのだろうか。その答えを、民族教育の歴史を振り返りながらともに考えていきたい。
- 日本に朝鮮学校があるということ 具大石
- 朝鮮学校あの時こんな事
- 願いは、誰もの人権が大切にされる日本社会になること
- 朝鮮学校とともに行った合同学習で学んだこと
東京・墨田区立曳舟小学校 雁部桂子 - 民族教育60年の歩み~今なお引き継がれる民族愛(民族教育主要年表)
各地で国語講習所が開設、中等教育開始、4・24教育闘争、朝鮮大学校創立、祖国から教育援助費および奨学金、朝鮮学校生徒史上最多の4万6000余人、外国人学校法案、JR定期券の学生割引率差別是正、スポーツで大活躍、在日本朝鮮学生少年芸術団韓国公演 他