手をのばせばウリマル
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ウリマル-直訳すれば、「わたしたちの言葉」。
在日同胞にとって朝鮮語はウリマルであり、在日同胞が「ウリマル」と言うとき、そこにはさまざまな思いが込められている。
ウリマルを奪われた1世、1世のウリマルを聞き育った2世、ウリマルを学校で学んだ、そして学べなかった3世…。本来、同胞の生活のなかにあるべきウリマルが、歳月の経過とともに、影を薄くしつつある。
しかし、まだまだウリマルは手をのばせば届くところに存在する。
手をのばすこと、そして、「朝鮮語」を「ウリマル」だと感じることが大切だ
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