川崎朝鮮初級学校
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今月のウリハッキョ
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1世が築いたトンネの学校。4、5、6年生は「チャリ通」が基本!
同胞が多く住む、神奈川県川崎市にある川崎朝鮮初級学校。祖国解放後、この地域では7ヵ所で国語講習所が開設され、1946年には同校の母体となる川崎朝聯初等学校が創立された。1971年に中級部が併設され、2005年からは再び初級学校となった。
川崎を中心としたエリアは京浜工業地帯とよばれ、製鉄産業が盛んな地域。植民地時代、この地域の工場建設や拡張工事に多くの同胞が従事し、戦時中には朝鮮から強制連行されてきた同胞たちが、工場内で過酷な労働を強いられていた。川崎市内に住む同胞数はおよそ9000人で、学校が位置する川崎区に集中している。川崎区中留(現在の桜本)は、在日同胞の祖国への帰国運動が日本全国に広がる発端の地としても知られている。
幼稚班と初級部低学年の児童たちは通学バスでの送り迎えが行われるのに対し、初級部高学年児童らは自転車通学が主流。取材日も、元気に自転車を乗りまわす児童らの姿が印象的だった。
今年度は子どもたちの基礎学力向上を目指し、朝鮮語教育にとくに力を注いでいるという同校。幼稚班園児らが「コマウォ(ありがとう)」「コマプキン(どういたしまして)」と朝鮮語で自然なやりとりをする姿から、その取り組みをうかがい知ることができた。
同校に向けられる地域同胞たちの関心はいつも高い。保護者はもちろんのこと、中でも地元川崎青商会のサポートが力強いという。とくに2004年から始まった「KAWASAKI大交流祭」(青商会主催)は、地域の日本市民、そしてニューカマーを含めた多くの同胞に、同校の存在を発信する一大イベントとなっている。
一方、1970年に建てられた現在の校舎は老朽化が目立つようになり、今年3月から5月にかけてトイレの改修工事が行われた。その際、保護者を中心に卒業生、地域同胞らに1口2000円募金を呼びかけたところ1700口が集まり、幅広い同胞たちの力で無事に工事を完成させることができたという。
近隣の日本学校との交流の伝統もある。さくら小学校(東桜本小学校と桜本小学校が統合)と桜本中学校との交流は20年以上におよぶ。低学年は毎年七夕の季節になると、ペンイやユンノリといった朝鮮の伝承あそびなどで交流し、高学年はマラソン交流のほか、サッカーの練習を合同で行ったりするという。
また川崎市教職員組合の支部長会議の際には、同校に日本学校の教職員たち40〜50人が集まり、その後行われる焼肉会には近隣の日本学校の教員らも合流し、交流を深めているそうだ。同校が会場として使われることによって、朝鮮学校に対する地元の理解を深めるきっかけとなっている。
学齢前の幼児たちとオモニたちを幅広くつなげ、同校に関心を持ってもらうための働きかけも行われている。「教育と学校運営の観点から、そして川崎地域の同胞社会を守っていくためにも、今後全校児童・園児100人台を目指したい」(金龍権校長)。