京都・ウトロ
広告
<旅編>
近鉄京都線の伊勢田駅から徒歩で約10分ほど行くと、平凡な町並みの中に大きな看板が何枚も立てられた一画が現れる。「ウトロ町づくり基本方針」「私たちがめざす新しいウトロ」…。そこに書かれている言葉の一つひとつが、この町の歴史の結晶でもある。
ウトロは、京都府宇治市伊勢田町にある同胞集住地域だ。約2・1ヘクタールの面積に、現在70弱の同胞世帯が住んでいる。ゆっくり歩いても15分もあれば、ぐるりと1周できるくらいの広さだ。
ウトロの名が広く知られるようになるのは1980年代の終わりごろで、地権者が土地を転売したことにより住民が立ち退きを迫られる事態が起こった。「ウトロの土地を守る」ための住民にとっての長い闘いの始まりだった。これは「降ってわいた出来事」という側面もあるが、日本による侵略と植民地支配の中で故郷を離れなければならなかった在日同胞の「恨」の歴史が終わっていなかったことを物語るものでもあった。
ウトロは元々、戦時中の飛行場建設工事に様々な形で集められた朝鮮人労働者の飯場だった。飯場が形成されたのが1943年ごろだという。日本の敗戦により飛行場建設は中止になるが、朝鮮人たちはそのままウトロに住みつづけ、朝鮮人集落ができあがった。