新潟・福島ハッキョの7ヵ月間
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困難乗り越え、合同生活で成長した子どもたち
3月11日に起こった東日本大震災とそれに続く東京電力福島第1原発の事故により、福島朝鮮初中級学校は放射能の危険から避難するため5月15日から新潟朝鮮初中級学校へ学校ごと移動した。在日朝鮮人の民族教育において前例のない新潟・福島の合同授業(合同生活)は約7ヵ月にもおよんだ。
12月3日、新潟朝鮮初中級学校の体育館に300人近い同胞や日本人が集まった。福島からも10家族の保護者をはじめ総聯本部委員長など関係者が駆けつけた。この日行われたのは、新潟・福島朝鮮初中級学校合同学芸会。そして、引き続き「福島朝鮮初中級学校学生たちを送る集い」が行われた。約7ヵ月におよんだ新潟と福島の合同生活はこの日をもって一旦終了することとなった。
会場の後ろには、5月15日、初めて新潟の学校に来たときに新潟の同胞たちが開いた歓迎の焼肉パーティー、佐渡島への社会見学、合同運動会、キャンプ、修学旅行、授業風景、寄宿舎での生活など、思い出の写真が貼り出されていた。最初の頃の写真の顔と子どもたちの現在の顔の違いが、7ヵ月という期間の長さと子どもたちの成長を雄弁に物語っていた。