朝鮮にあった「豊かな光景」
広告
●朝鮮にあった「豊かな光景」
『ピョンヤンの夏休み』を書いた柳美里さんに聞く
本誌に「ポドゥナムの里から」を連載中の作家・柳美里さんが、3度の朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)訪問の日々を綴った本『ピョンヤンの夏休み―わたしが見た「北朝鮮」』(講談社)が昨年末に出版された。柳美里さんに、朝鮮のことや執筆の思いを聞いた。
――本を読んでいると、朝鮮という国が柳さんの生き方、感性とすごくフィットしている感じがします。
柳 日本で失われつつあるものが朝鮮には残っていると感じました。福島で原発事故が起きて一年になりますが、経済成長のみを追い求めた結果、人の暮らし、人そのものがないがしろにされている現実が露呈されつづけています。原発事故の直後、平壌の街並みが頭によぎったんです。電力は豊富ではないし停電もあるけれども、人びとが川べりに座り夕陽の光で本を読んでいる。とても印象深く、豊かな光景でした。
休みの日にハイキングに出かけて歌ったり踊ったりしている家族とか、息子と歩いていたら手招きして一緒に写真を撮ろうと誘ってくれたおじさんとか、そして、川べりの恋人たち。何かの事情で泣いている彼女を、抱きしめるでもなく、いたずらに励ますのでもなく、肩に手を置いてじっと見守っている二十代の男性。その手のひらと、その眼差しの優しさに胸を打たれました。心に余裕がないと人を思いやることはできません。日本と比べたら経済的には貧しいですが、朝鮮の人たちは心にゆとりがあると思いました。そのゆとりに触れたとき、自分の感情がさざなみ立つのを覚えました。
『ピョンヤンの夏休み―わたしが見た「北朝鮮」』柳美里著 |