「基地のない沖縄」への飽くなき道
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1972年の「本土復帰」から40年。復帰時に沖縄の人々が希求した「基地のない沖縄」はいまだ実現されず、沖縄における米軍基地問題は普天間基地移設問題を焦点に迷走が続く。基地閉鎖と反戦平和を掲げ、沖縄の民衆が粘り強く続けてきた運動は今、普天間基地への新型輸送機MV22オスプレイ配備を
めぐって大きく高揚している。本稿では普天間基地爆音訴訟を中心に、普天間問題への住民らの取り組みを伝える。
「世界一危険な基地」
普天間基地の形成
普天間基地の航空写真を見れば、その異常さに誰もが目を疑うだろう。宜野湾市の総面積の25%を占める普天間基地は、人口約9万人がひしめき合う住宅密集地のど真ん中に居座る。これが普天間基地が「世界一危険な基地」と称される理由だ。
沖縄には日本国内の米軍基地の75%が集中し、国土のわずか0・6%にすぎない面積に37の米軍基地および関連施設がある。
米軍基地といっても、その規模や機能、基地形成の経緯などはそれぞれ異なり、よって隣接する地域にもたらす影響、被害なども多様だ。