歴史の事実を掘り起こす-朝鮮人強制連行真相調査の40年
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日本による朝鮮植民地支配。凄まじい国家暴力により、祖国を、民族を、 名をも奪われた朝鮮人たちは、強制的に日本に連行され、過酷な労働現場で酷使された。 どれほどの在日朝鮮人1世たちが異郷の地で、ふるさとを想いながら果てていったのか――。 特集では、朝鮮人強制連行真相調査団の結成40周年に際し、 問うべき日本の植民地支配の事実、継ぐべき1世たちの受難の記憶に光を照らす。
Q&A朝鮮人強制連行とは何か
国際法に違反した戦争犯罪、日本政府には被害者の名誉回復の義務が
日本政府が国家をあげて進めた朝鮮人強制連行は、国際社会では 「人道に対する罪」「戦争犯罪」とされ、日本政府は当然その責任を負う。 当時、朝鮮人強制連行は何の目的をもって、どのような規模で進められ、 労働者たちが強いられた労働はどのようなものだったのか。 国際社会の動向も踏まえ強制連行問題を問答でまとめた。
過去を掘る共同の営みが、未来を拓く
北海道芦別市で遺骨発掘調査
北海道芦別市における朝鮮人強制労働犠牲者の遺骨発掘調査 (主催=北海道芦別川河畔強制連行犠牲者遺骨発掘調査実行委員会)が 8月24~26日、芦別市民と「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」の協力のもと実施された。 3日間で延べ300人の参加者らが共同作業を通して歴史と向き合い、交流を深めた。
強制連行の場で共に暮らした日本人の取り組み
福岡県と山口県での真相調査活動
植民地時代、朝鮮人が最初に連れてこられた場所が山口県の下関であり、関門海峡を挟んだ福岡県の筑豊の炭鉱では多くの朝鮮人が強制労働をさせられた。二つの地域は関係が深くともに強制連行の爪跡が色濃く残る所だ。強制連行真相調査も、両地域で連携を持ちながら進められてきた。
1世の証言
逃亡し捕まると半殺しにされた 具賢敦さん(91)
山口県下関市在住
私の故郷は慶尚南道梁山郡で、5人きょうだいの末っ子として生まれた。家は貧農だった。地主から土地を借りて小作農をしていたが、いくらがんばって収穫をあげても、多くを地主がもっていくので、いくらも残らず、秋からお粥を食べても春には食料が底をついていた。
「死にたい」、何度も思った 金龍岩さん(85)
福井県福井市在住
私の生まれは慶尚北道で、5歳の時に(日帝が実施していた移民政策の一環として)家族みんなで旧「満州」の吉林省へと渡った。われわれは「農地開拓民」といって農業をさせられたんだが、米や何やらは日本人が全部持っていってしまう。それなのに配給はほんの少ししかくれん。
歴史の闇に光を灯す
高校生から始まった松代大本営の保存
長野県長野市松代町には「松代大本営」として知られる巨大地下壕がある。太平洋戦争末期、「本土決戦」を叫ぶ日本の旧軍部が松代に地下壕を構築し、大本営、皇居、政府機関などを極秘に移転する計画を立てた。工事は数多くの朝鮮人、日本人が動員され1944年11月から始まったが、未完成のまま敗戦を迎えた。戦後、一部の人々を除いて忘れ去られていた地下壕の保存、公開に取り組み、その存在を広く知らしめたのは地元・長野俊英高校(旧篠ノ井旭高校)の郷土研究班の生徒たちだった。
強制連行の実態を明らかにした朝・日合同の現地調査
対談 山田昭次(立教大学名誉教授)×柳光守(在日本朝鮮人人権協会顧問)
朝鮮人強制連行真相調査団(以下、調査団)は1972年8月15日からの沖縄での実態調査から 活動をスタートさせた。その後、北海道(73年)、九州(74年)、東北(75年)、 広島・長崎(79年・被爆朝鮮人実態調査)で行われた朝・日合同の現地調査は、 それまで闇の中にあった朝鮮人強制連行の実態を明らかにする大きな成果を収めるものだった。初期の調査活動から携わってきた山田昭次氏と柳光守氏の二人に、 調査団結成の意義や現地調査の模様、調査活動への思いや 今後の課題などについて話し合ってもらった。
大きな足跡残した 調査団の40年
インタビュー:朝鮮人強制連行真相調査団 朝鮮人側事務局長 洪祥進氏
あの時代の苦しみを 分かち合う
朝鮮人強制連行を知るための本、映像