平壌の日本語教育・それでも日本語を学ぶ
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関係悪化で学生数激減、「いつか道は開かれるはず」
ルポ/平壌外国語大学を訪ねて
「17日から釧路市で開かれる世界ジュニアスケート選手権大会を前に公開練習が行われました。短距離、長距離競技に出場する日本の選手は…」
カセットテープに録音されたNHKのニュースを繰り返し聞いた後、教員が学生に課題を出す。「はい、それではテープの内容を簡単にまとめて話してみましょう」。
平壌外国語大学で行われている日本語の授業の一コマだ。
足かけ20年、朝鮮大学校の草の根交流
外国語学部教員が集中講義、資料寄贈も
朝鮮における日本語教育において独自の貢献をしてきたのが朝鮮大学校(東京都・小平市)だ。朝大外国語学部教員が平壌外国語大学で日本語を教えはじめたのは1991年のこと。朝鮮労働党と自民党、日本社会党による3党共同宣言が採択され、両国の国交正常化への期待が膨らみ、日本語の学習熱に火がついた頃だ。朝鮮から依頼を受け、91年に当時朝大で日本語を教えていた権載玉さんが平壌外大に出向き、夏に1ヵ月間の集中講義を行った。朝大教員による講義は10年間続けられた。