朝鮮戦争 ―停戦から平和へ
広告
朝鮮戦争(1950~53年)は今年7月、停戦から60年を迎えた。朝鮮人民軍およびそれを支援した 中国人民志願軍と米軍を中心とする国連軍、韓国軍の間で戦われた3年間の戦争の犠牲者は軍人、民間人合わせて 数百万人ともいわれる。焦土化した国土、1000万人にのぼる離散家族、その後の民族分断の固定化と朝米対立―。 朝鮮半島は今も戦時下にある。戦争の終結と平和を求める声が高まる中で、朝鮮戦争の意味をあらためて問う。
ルポ・戦争の傷跡を訪ねる
①虐殺の地で垣間見た悲劇 信川
7月24、25の両日、朝鮮戦争停戦60周年に際して訪朝した世界各国の代表に同行し、信川と板門店を訪ねた。分断と対決の最前線と戦時中の民間人虐殺事件の現場には今も続く戦争の緊張感が漂い、いまだ癒えることのない戦争の傷跡がむき出しになっていた。
②分断の象徴、冷戦の最前線 板門店
開城市の中心部から東南に8㎞ほど離れたところにある非武装地帯(DMZ)の入口。朝鮮半島の分断を象徴する場所―板門店はこのDMZの中に位置する。鉄鋼帽をかぶった軍人らが任務にあたる入口からすでに緊張した雰囲気が漂う。
朝鮮戦争とはいかなる戦争だったのか
平和の回復なき60年を経て
李柄輝 ●朝鮮大学校文学歴史学部准教授
民衆と朝鮮戦争
朝鮮半島全体を舞台に激しく戦われた3年間の戦争は、そこに住むすべての人々の記憶に深く刻み込まれた。戦争で両腕と家族を失った女性、義勇軍に志願し北へ渡った元看護兵、除隊後に教職の道に進んだ元大学教員の3人が「戦争と私」について語る。
①米軍に両腕と両親を奪われた リ・オクフィさん(70)
②義勇軍入隊、家族の死、そして北へ アン・ビョンオクさん(81)
③朝米対決の最中に生まれた並進路線 シム・ヨングンさん(79)
朝米の60年―停戦状態の中の朝鮮半島―
廉文成●朝鮮大学校外国語学部助教
植民地からの解放を迎えるやいなや、朝鮮半島には大国間におけるパワー・ポリティクスが持ち込まれ、3年間に及ぶ戦争の後に朝鮮は東西両ブロックが対峙する冷戦の中心部となった。その後軍事的緊張状態が解消されることのないまま60年の歳月が過ぎ、今日に至っては関係諸国が戦争の継続としての停戦状態を安全保障政策の与件とみなすことにより、軍事的緊張を孕む状況の膠着化がもたらされている。
「朝鮮戦争像」の根本的な転換迫る
最近の朝鮮戦争研究について
朝鮮戦争と日本
日本はいかに戦争にかかわったのか
白宗元 ●歴史博士