「私たちの学校を取り上げないで」~vol.9 -枝川朝鮮学校土地問題裁判
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2003年12月、東京都が江東区枝川の東京朝鮮第2初級学校(以下、東京第2初級)の 校地の一部返還と4億円の損害金支払いを求めて提訴した裁判(以下、枝川裁判)は 07年3月、和解という形で決着した。 枝川裁判は在日朝鮮人の民族教育権をめぐって争われた初のケースとして 大きな注目を集めた。
歴史的経緯無視した 都側の提訴

2012年5月、東京朝鮮第2初級学校に「枝川朝鮮学校支援都民基金」が遊具を寄贈した。新校舎と遊具の前に立つ同校児童と教職員、都民基金メンバーら(朝鮮新報提供)
本裁判には枝川という地をめぐる歴史的な経緯が深く関係している。
枝川1丁目地区は戦前、朝鮮人が住んでいた江東区塩崎などが「幻の東京五輪」の会場予定地に指定されたため、都が41年に埋め立てを終えたばかりの土地に粗末なバラック住宅を建てて、1000人以上の朝鮮人を強制移住させることによって形成された。都が戦後、同地区の管理を一切放棄したことで、同胞たちは劣悪な住環境の改善に自力で取り組まざるをえなかった。