始まりのウリハッキョ編 Vol.2 閉鎖から4年、再び灯した明かり~茨城朝鮮初中高級学校
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一昨年に創立60周年を迎えた茨城朝鮮初中高級学校(水戸市千波町)。決して同胞数の多くない地域で祖国解放直後の国語講習所から始まり、日本当局の弾圧にも屈せず、1953年に現在の学校の前身となる茨城朝鮮中学校が創立されるまでの道のりは、県下同胞を挙げてのたたかいがもたらしたものだった。
産声上げた民族教育
茨城の朝鮮学校がたどってきた道のりは、県内の在日朝鮮人史保存活動の一環として2001年に発刊された冊子『茨城における在日朝鮮人の歩み』(歴史編纂委員会編)に詳しい。以下、同書に基づいて、学校創立にいたるまでの歴史をひもとく。
45年11月に結成された在日本朝鮮人聯盟(朝聯)茨城県本部の下、支部が中心となって各所に朝鮮人学校(国語講習所)が開校した。記録に残っているものとしては、46年2月開校の朝聯関本初等学院と谷田部初等学校が最も古い。その後、下館、土浦、北條と続き、47年までに22校が開校したとされる。