【特集】統一はロマン?~70年の節目に
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8月15日、私たちは祖国解放から70年を迎える。この70年は、三千里の郷土が引き裂かれてきた長い歳月でもあった。分断から70年―。祖国統一とは、絵に描いた餅なのか? いつまでロマンや理想としてだけ掲げられるものなのだろうか? 70年の節目に、今いちど一人ひとりにとって統一とは何かを考えてみたい。
グラフィック作品「38度線にコスモスを」
許相浩●アートディレクター、デザイナー
列車は祖国の地を走りたがっている
孫に伝える三千里鉄道の夢
都相太●NPO法人三千里鐵道理事長
祖国の解放から70年、南北の分断からも70年が過ぎようとしている。2000年6月15日の共同宣言発表からも、はや15年が経過した。07年5月に再びつながった南北の鉄路は8年間さびついたままである。
どれもこれも異常な事態である。
異常が日常化されたため、われわれの生活や思想に感性の鈍化が進行しているのであろうか。決してそうではないだろう。この70年や15年という時の流れを常々「おかしい」と思うのは自然な感情であろう。ただし、戦争をしたがっている人々を除けば、という条件つきではあるが。
あらためて6・15共同宣言を読み直す。この宣言の中に「おかしな」ことは一つも書かれていない。自然で素直で、正直である。
8年間さびついたままの鉄路も、政治の所業に「一体どうしたのだ」と叫んでいるに違いない。列車は走りたがっている。人々も往来したい。なぜなら、ずっとひとつの同胞であったし、今もこれからもそうでありたいからである。
歴史の現場に立って
70年の分断期間、統一実現のための運動は不断に続けられてきた。その中で、歴史に残る出来事がいくつも繰り広げられてきた。分断の痛みを身をもって経験した人たち、統一を間近に感じる瞬間を現場で体験した人たちの証言を紹介する。
01 「小さな統一」 が実現した期間
コリア卓球統一チームの活躍(91年)
成斗嬉さん(75)
スポーツ分野における統一に関連するもっとも大きな出来事のひとつは、1991年4月から5月にかけて千葉・幕張で開催された第41回世界卓球選手権大会、そこでの北と南のコリア卓球統一チームの実現だろう。在日朝鮮人の前で繰り広げられた統一チームの活躍。不敗を誇っていた女子中国チームを団体戦で打ち破る快挙を達成した。会場では総聯と民団の合同応援団がともに統一旗を振って声援を送り、勝利の瞬間には抱き合って喜びを分け合った。その時の感動は今も多くの在日朝鮮人の脳裏に焼きついている。
02 本当に自由に、もう一度故郷へ
第2次総聯同胞故郷訪問団(00年)
宋斗満さん(88)
愛族愛国運動に身を捧げた1世同胞たちの、生まれ育った故郷への訪問を実現した総聯同胞故郷訪問団は、6・15共同宣言直後の2000年9月から始まった。現在、在日本朝鮮人東京都商工会と東京都朝鮮人協同組合連合会の相談役をしている宋斗満さんは、第2次総聯同胞故郷訪問団(00年11月17~22日)に参加。済州島に暮らす親族や、ゆかりある人々との再会を果たした。
03 獄中で託された思い、未来へ
在日韓国人留学生「スパイ」事件(70~80年代)
柳英数さん(65)
1970~80年代にかけて、軍事独裁政権下の韓国に留学した在日韓国人青年たちが「北のスパイ」というぬれ衣を着せられ、数多く投獄された。過酷な拷問を受け、極刑・重刑を宣告された人々は100人を超える。大阪市内で飲食店を営む柳英数さん(65)もそのうちの一人だ。
和歌山県生まれの柳さんは70年、立命館大学に入学。73年、ソウル大学に留学し、翌年には慶北大学に入る。韓国では民青学連事件、人民革命党事件、学園浸透スパイ事件など治安・情報機関によるでっち上げ事件が相次いでいた。催涙弾の煙でむせかえる街で柳さんは民主化闘争に共鳴していった。
04 「世界が変わる」を目の当たりに
第13回世界青年学生祝典と林秀卿訪北(89年)
李明玉さん(46)
1989年夏、第13回世界青年学生祝典の開催地・平壌は朝鮮半島の統一を叫ぶ人々の熱狂に包まれた。開幕前日の6月30日、南の全国大学生代表者協議会(全大協)代表の資格で林秀卿さんが電撃的に平壌を訪問。「全大協は平壌に到着しました!」という空港での声明の鮮烈な印象も相まって、死線をくぐりぬけ訪北した21歳の大学生は世界に衝撃を与えた。林さんはいつしか「統一の花」と呼ばれるようになっていった。
当時、東洋大学の3年生だった李明玉さん(46)は在日本朝鮮留学生同盟(留学同)代表団の一員として祝典に参加。「林秀卿フィーバー」の只中、かのじょと行動をともにしながら、激動の一部始終を間近で目撃した。
05 統一への思い、海外同胞から学んだ
南北・海外青年学生団体代表者会議(06年)
李応虎さん(41)
李応虎さん(現在、在日本茨城県朝鮮青年商工会幹事長)は2006年3月、中国・瀋陽で行われた南北・海外青年学生団体代表者会議に在日青年団体の代表として参加した。当時は31歳、朝青茨城県本部の委員長を務めていた。
瀋陽の会議では、北、南、海外青年の統一運動が共有され、「6・15共同宣言実現のための海外青年学生団体協議会」を立ちあげるための相談も行われた。夜の食事会は、自分の両隣に北と南の人たちが座るという「夢のようなシチュエーション」。なんと、李さんの右隣には「ウリナラ」バンド代表のカン・サングさんが座った。
8月に向け、牛の歩みでも
私から始める統一運動
祖国解放から70年。分断70年の中で、在日朝鮮人社会では1世の多くが統一した祖国を見られぬまま、この世を去った。世代が変わっても、祖国統一の悲願をあきらめない人たちがいる。自分の足でその思いをひとつ、ふたつ、伝えている。