綺麗じゃない「対話」が壁を越える/「武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」
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合同展覧会「武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」が2015年11月13日~21日にかけて両校で行われた。
朝鮮大学校と武蔵野美術大学の間に橋をかけるというプロジェクトは各メディアやSNSを中心に大きく注目され、期間中に約3500人が足を運んだ。
武蔵野美術大学(以下、武蔵美)は1929年に帝国美術学校として創立された後、1962年に名称を改め現在の場所へ大学を設置。朝鮮大学校(以下、朝大)は1956年に創立された。50年以上も前から一枚の塀を隔てて隣り合ってきた両校だが、表立った交流は今回が初めて。
そんな展覧会のテーマは「対話」。準備過程で、企画者であり出展作家の5人(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉)は何度も対話を繰り返してきたという。多い時には週に何度も顔を合わせ、たくさんの質問や言葉を重ねてきた。居心地が悪かったり、逃げ出したくなることは何度もあったそうだ。
会場では、そんな膨大な対話の一部を収録したパンフレットが配布されたほか、企画が始まった当初から展覧会直前まで約1年間の進行状況をふせんや書き込みで時系列にまとめた「タイムライン」も展示された。
「対話」から生まれた作品
朝大側では美術棟1階展示室と2階のアトリエが、また武蔵美側は展示室FALが会場となった。両校にかかった橋は、実質この二つの空間をつないだものだ。それぞれの会場に5人の作品が並ぶ。朝大だけでは、また武蔵美だけでは感じることのできない交じり合った空気の中で、人々は興味深げに作品を鑑賞していた。
朝大美術棟2階のアトリエに足を踏み入れると、いくつもの植物が置かれジャングルのような状態に。その中で用紙に何かしらを書き込む人たちの姿がちらほら。これは作家5人による対話の中で出てきた質問を、来場者にもしてみようという土屋美智子さんの「作品」だ。
「塀をこえた時、どのようにかんじましたか」「今この場所で耳をすますと何がきこえますか」「あなたの日本人のイメージ、またあなたの在日朝鮮人のイメージを教えて下さい」「在日10世はどうなっていると思いますか」など、人々の感覚と内面に問いかける14の質問が書かれている。中央テーブルには引き出しが置いてあり、他人の回答を自由に読むことができた。植物を配置したのも土屋さん。この場所でミーティングをしている時に、朝大で飼育している鳥の声を聞いてジャングルを連想した。その感覚を再現したかったのだとか。
塀越しにボールの投げ合いをする5人のようすを撮影した灰原千晶さんの映像作品「playground」など会場に展示された作品はどれもみな、対話によって影響を受けたり対話を通して生まれたものだ。
「突然、目の前がひらけた」
最終日の21日には、武蔵美側の展示室であるFALにてアーティストトークが行われた。武蔵美の袴田京太朗教授はじめ、合同展覧会の企画者・作家である5人が登壇。トークでは展覧会開催までの経緯と各作品の解説が話されたほか、個々人が制作中に感じた葛藤や展覧会の名前の由来、橋を作るまでの実務的な作業など、さまざまなエピソードも披露された。
14年に行われた武蔵美と朝大の合同展の際、李晶玉さんから「壁越え搬入」のようすを見せられた灰原千晶さん。その時につぶやいた「突然、目の前がひらけた」という言葉がそのまま展覧会の名前に決まったという話には、会場から笑い声が上がった。
また、展覧会の「いい話」も。今展覧会の象徴ともいえる橋の作成は、制作委員会のメンバーだけでは足りないため、両校の学生たちを巻き込もうという話が出た。しかし、交流を強いるような雰囲気は出したくなかったという。あくまで作業を手伝って欲しいという旨で募集をかけ、結果的に約70人が携わった。橋が完成した後日、参加した武蔵美生に感想を聞くと「こんど朝鮮大の人と、ご飯食べて洋服買いに行く約束をしたんです」という返事がかえってきたとのこと。ひらかれた視界の先で、少しずつ新たな変化が生まれているように思えた。
最後に、武蔵美の袴田教授が発言。「関係性というのにはいくつか形がある。一つは争い、もう一つは無視。これまで両校はずっとお互いを無視している状態だった。今回、自分たちは対話という方法を持って関係をつくってきたが、そのなかにも争いや無視といった小さな攻撃はあった。この展覧会は決して何か美しい結果を生んだわけではない。でもプロセスには価値があったし、今後、両校の間にきっと何かを投げかけてくれると思う」と締めくくった。