始まりのウリハッキョ編vol.16 みなを驚かせた新キャンパス~朝鮮大学校の創立と学舎移転
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今年4月、創立60周年を迎えた朝鮮大学校(東京都小平市)。在日朝鮮人による民族教育の最高学府はいかにして生まれ、発展の礎を築いたのか。1956年4月10日の創立から59年6月13日に小平へ移転するまでの歩みを振り返る。
仮校舎でスタート
朝鮮大学校の設立は、在日朝鮮人自身の切実な要求から出発した。植民地期に満足な教育を受けられず、解放後も日本政府の差別政策によって苦労してきた同胞たちにとって、高等教育まで一貫した民族教育の体系を確立することは悲願だった。在日朝鮮人運動で指導的役割を担う幹部や朝鮮学校の教員を育成する自前の拠点も必要とされていた。
在日朝鮮人のための高等教育機関の設立は、51年1月9日に結成された在日本朝鮮統一民主戦線(民戦)の時代から議論されてきたが、その歩みが本格化するのは在日本朝鮮人総聯合会(総聯)の結成以降のこと。総聯の結成を宣言した第1回全体大会(55年5月25~27日)では、53年10月に設立された朝鮮師範専門学校を将来、大学課程を履修できる高等教育機関として強化していく方針が示された。そして、総聯中央委員会第2回会議(55年9月24~26日)で、師範専門学校を土台にした総合大学の建設を決定。4年制を見すえつつ、当面は2年制とし、7つの学科を開設することも決まった。
そして56年4月10日、朝鮮大学校は東京朝鮮中高級学校(北区・十条)の一部を借用した仮校舎で産声を上げた。初代学長は韓徳銖・総聯中央議長。専任教員6人、講師24人という陣容だった。3月22日付『解放新聞』には、第1次入試を受けた82人中、合格者36人、聴講生15人、保留4人、不合格21人という結果が報じられている。