受け継がれる1世の遺産 始まりのウリハッキョ編vol.18 西東京朝鮮第2幼初中級学校
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今年、創立70周年を迎える西東京朝鮮第2幼初中級学校(町田市)。同胞数がさほど多くないこの地域で、民族教育の命脈はいかにして引き継がれてきたのか―。1946年の創立から68年の校舎新築までを振り返る。
公会堂を借りてスタート
町田における民族教育の本格的な始まりは1946年1月15日。西東京朝鮮第2幼初中級学校の前身となる町田朝聯学院が寺町(現在の原町田1丁目)にあった公会堂を借りて開校した日だ。1月15日は同校の創立記念日となっている。
当時を知る総聯町田支部顧問で1世の金英さん(91)によると、教材には朝鮮語の가갸표(子音・母音表)などが使われていたという。資料には、町田朝聯学院の開校当時の生徒数は33人だったと記されている。
自前の校舎が建ったのは開校1年後の47年12月2日のこと。400坪程度の敷地に、平屋建て(一部2階建て)の校舎と運動場が完成した。朝聯東京本部が作成した都内の朝鮮学校の実態に関する資料(49年)によると、当時の学校の規模は学級数6、教員数4、児童・生徒数102人で、校長は孫慶植さんとなっている。