西播で産声上げた朝鮮中学校 始まりのウリハッキョ編vol.20 中等教育のはじまり(近畿)
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1945年8月15日の祖国解放後、在日朝鮮人による中等教育は近畿地方でも
兵庫、大阪を中心に早い時期から始まった。46年6月に創立された朝連飾磨学院中等部は兵庫県のみならず日本全国的に見ても最初期に生まれた中等教育機関のうちの一つだと言われている。同校は、今年創立70周年を迎える
西播朝鮮初中級学校(姫路市)の前身だ。
朝連飾磨学院中等部
姫路の地で中等教育が産声を上げるまでの経緯を振り返ってみよう。
この地域における民族教育は大きく3つの地域に分かれて行われた。姫路市内を中心とした地域、飾磨・広畑を中心とした地域(姫路西地域)、網干地域だ。姫路西地域には解放前まで新日鉄広畑、姫路港などでの労働に従事していた同胞たちが多く住んでいたという。総聯姫路西支部同胞沿革史『西播』(2013年11月発行)によると、45年9月6日、英賀宮前に住んでいたある同胞が自宅で児童16人を集めて国語講習所を開設した。これが同地域における民族教育の始まりだと言われている。同年10月3日に朝連飾磨支部が結成されると、地域に3ヵ所にあった講習所を統合し、10月30日には英賀東町で飾磨朝連初等学院(児童数130人、教員4人)が開校された。
翌46年4月から児童数が200人を超え、初等教育全般をカバーするようになった。そして6月26日、姫路市飾磨区栄町に借りた木造の2階建ての校舎で朝連飾磨学院中等部が創立された。『4・24阪神教育闘争』(「4・24を記録する会」編著、1988年)には、「日本の中学を中退した者、小学校卒業者、学力該当者55人をもって中等部を設置」「全国で最初に開校した朝鮮中学校」などと記されている。