枝川の歴史胸に、新しい学び舎に/おいでよウリハッキョvol.9 東京朝鮮第2初級学校
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日本の植民地時代の1938年、幻の東京オリンピック開催のため、唐突に朝鮮人が強制移住させられた土地が、東京朝鮮第2初級学校が位置する東京・枝川だ。解放の翌年にこの地に建った同校は07年に枝川裁判で勝利的和解を遂げた喜びに続き、11年には新しい校舎を建て、未来への大きな扉を開けた。
△今月のハッキョ
東京朝鮮第2初級学校
歴史:1945年10月、枝川に国語講習所が設立。46年1月、東京朝聯学院が創立され、48年、東京朝聯第2小学校に改称される。64年2月、新校舎が落成、同年4月、中級部が併設。97年4月、初級部単設に。99年、愛国愛族学校の表彰受ける。2003年12月、東京都の提訴を受け枝川裁判始まる。07年3月、都と和解成立し、裁判で「実質的勝訴」。11年4月に新校舎竣工式(600人参加)。17年3月、枝川裁判勝利10周年記念式典
データ:李花淑校長/児童27人/学区:東京都中央区、江東区が中心。遠方から通う児童もいる/通学バスあり
住所:〒135-0051
東京都江東区枝川1-11-26
Tel:03(3644)1544
△少人数生かし、たくさんの経験を
新校舎建設後、同校は教育の充実、1世が残した資産を活用した財政基盤の確立に力を注ぎ、保護者との強い信頼を築きあげている。「少人数の利点を生かし、一人ひとりの個性を生かしながら素質を探ることで、6年間の学校生活を輝かせてあげたい」とは1年生担任の尹英愛さん(41)の言葉だ。朝鮮語、日本語、算数などの基本科目を中心に、教員暦40年以上のベテラン勢が手厚い授業指導を施すことで、中堅、若手の教員をしっかり育てている。
書道や英語、算盤をカリキュラムに組み入れ、子どもたちに多くの体験をさせているのも同校の特徴だ。「点数にこだわるのではなく、ひと月前の自分より、昨日の自分より、高められたのかを見ていきたい。自分自身の可能性を見つめ、やる気を起こす、器の大きい人間を育てていきたいですね」と李花淑校長。
世帯数は21と少ないが、保護者たちは、OB、OGたちと力を合わせながら、週1回の給食や課外キャンプなどを続けている。心はひとつ、子どもたちのためだ。
△土曜児童教室、数学教室…挑戦つづく
新校舎建設から6年
東京朝鮮第2初級学校は、2011年の新校舎建設後、裁判闘争の過程で培った
地域社会との信頼を基盤に、児童数増加、地域の拠点作りに取り組む。その中心にいる人たちに話を聞いた。