時代ごとのテーマ、朝鮮語で舞台に描き続ける 始まりのウリハッキョ編vol.31 朝鮮大学校演劇部
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在日朝鮮人を取り巻くさまざまなテーマを表現し、近年、内外で活動が注目されている朝鮮大学校演劇部。草創期から現代までを振り返りながら、その活動と意義を紹介する。
演劇運動の発展の中で
戦後、在日朝鮮人にとって演劇は、緊張する情勢の中でも民族心を守り、同胞たちが団結するよう啓蒙する力強い手段となってきた。「在日朝鮮演劇運動日誌」(呂雲山著)によると、1945年10月に結成された在日本朝鮮人聯盟(朝聯)のなかには「文化工作隊」が作られ、この頃すでに各地で演劇活動をはじめとする文化公演を行ったと記録されている。
朝聯が強制解散(49年)させられたのちも、演劇運動の重要性を自覚する同胞文化人らが集まり、翌年1月に「モランボン劇場」という名の劇団を結成。その後、総聯結成後に「在日朝鮮中央芸術団演劇部」(62年3月初演)、「在日朝鮮演劇団」(65年1月創立。以下、「演劇団」)へと発展していく。
同時に、演劇運動は同胞社会だけでなく、民族教育の最高学府である朝鮮大学校(56年創立、59年に現在の場所へ移転)でも活発に行われた。当時を知る証言者や資料がないため正式に発足した時期は明らかでないが、71年度に入学した演劇部OBに「先輩」についての記憶があること、80年度にいちど活動停止状態になる(後述)まで演劇部の顧問を務めていた故・南相赫氏が朝鮮大学校文学部で教鞭をとり始めたのが65年であることなどから、少なくとも60年代後半には「演劇部」は存在したものと思われる。
70年代中盤までは、「고향」、「우리를 기다리라」、「그날은 오리라」など、朝鮮民主主義人民共和国の作品を学内で数多く上演。
また、74年に「演劇団」が「在日朝鮮中央芸術団」と統合、「金剛山歌劇団」に改称される以前は、朝鮮大学校演劇部で活動したメンバーが卒業後の進路として「演劇団」に配属されることもあったという。
他にも、日本の高校から朝鮮大学校へ編入してきた学生たちが数ヵ月にわたって集中的に朝鮮語を学び、その成果を発表する場として持たれる文化公演の指導を、主に演劇部が担当していた。