조선춤(チョソンチュム)を追いもとめ/始まりのウリハッキョ編vol.39 朝鮮舞踊基本動作の普及
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朝鮮学校の舞踊教育において、バイブルといえるのが基本動作だ。朝鮮舞踊の礎を築いた崔承喜が朝鮮民主主義人民共和国で作った「朝鮮民族舞踊基本」(1958、朝鮮芸術出版社)が海を越えて、日本に伝わったのは1960年代のことだった。
崔承喜の「朝鮮民族舞踊基本」
崔承喜が国家の全面的なバックアップのもとに作成した「朝鮮民族舞踊基本」とは、朝鮮舞踊の基本を体系化、完成させた朝鮮舞踊の教本だ。걷기(歩く動作)をはじめとする準備動作を網羅した립춤(立舞)、扇、仮面、剣、サンモ、チャンゴなど11種類にわたる朝鮮独特の小道具を用いた基本動作が含まれている。ソウルで生まれ、日本では石井漠に師事し、「朝鮮の舞姫」として世界各国で活躍した崔は、解放後は朝鮮民主主義人民共和国に渡った。崔は朝鮮各地を訪ね歩き、独特で固有なチュムカラッ(춤가락:踊りの律動)を一つひとつ発掘し、整理していった。宮廷舞踊に造詣がある人、妓生や巫女、地方ごとに残された民間舞踊である農楽やタルチュム、猟師や農民の踊り、さらにはその周辺で繰り広げられる踊りまでも収集したという。
同基本は、58年6月26日号の「朝鮮民報」(朝鮮新報の前身)を通じて出版のニュースが伝えられ、60年代の初めには朝鮮と日本を行き来する帰国船を通じて映像とともに伝わり、おもに高級部で使われだした。教材、人材が限られていた在日朝鮮人社会にとって、同書の出版は舞踊を普及する上で大きな力になった。続けて小中学校向けの教材である「朝鮮児童舞踊基本」(1963、朝鮮文学芸術総同盟出版社)、「学生少年舞踊基本」(1971、社労青出版社)が日本に送られてきた。さらに73年に来日した万寿台芸術団は、2ヵ月間の公演の合間に「舞踊基本動作」の撮影に協力してくれ、その映像が朝高、朝大に普及された。基本動作の映像が学校現場に普及されたのは初めてことだった。
金成愛(69)の後任として75年に朝鮮大学校の舞踊教員に配属された朴貞順(64)は、73年当時、朝大3年生だった。「マンスデの公演をアンサンブルと歌劇それぞれ5回ずつ見ました。朝鮮舞踊のすばらしさに圧倒され、とにかく近づきたい一心。夏休みに家に帰らず、基本動作の映像を繰り返し見ては、舞踊部屋の鏡の前で動作を繰り返しました」
75年夏には「学生少年舞踊基本」をもとに日本各地の舞踊教員を対象にした講習が初めて開かれ、朴は講師を担当した。78年に来日した平壌学生少年芸術団は、公演の合間に「学生少年舞踊基本」を実際に踊ってくれた。朴は映像収録の場面に立ち合った。