ファクトの力でフェイク打ち消す(琉球新報記者・滝本匠さん)
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沖縄の報道をリードする地元紙・琉球新報。昨年9月の県知事選挙に関する情報のファクトチェック報道が評価され、ジャーナリズム関連の表彰も多数受けた。県知事選取材班キャップを務めた同紙東京支社報道部長の滝本匠さんがファクトとフェイク、そして米軍基地問題に関する沖縄の民意について語る。
文・写真:李相英
琉球新報記者・滝本匠さん
たきもと・たくみ
琉球新報社東京支社報道部長。1973年、大阪府岸和田市生まれ。98年、琉球新報入社。社会部、八重山支局長(石垣市)、政経部基地担当、ワシントン特派員などを経て18年4月から現職。共著に「呪縛の行方」(琉球新報社)、「沖縄フェイク(偽)の見破り方」(高文研)など。
―昨年の県知事選で飛び交った情報の真偽を調査したファクト(事実)チェック報道が各方面で注目を集めました。なぜ始めようと思ったのですか。
沖縄をめぐるデマや中傷、事実でない報道は昔からありました。私は入社が98年で、翌年にインターネット掲示板の「2ちゃんねる」が出てきました。そこでも沖縄について事実と異なることが書かれていました。ただ、当時は今ほどネットの影響力の広がりを予見できていなかったので、「閉じられた空間の中で何か言っているだけ。リアルな世界には影響力はない」と受け止められていました。「放っておけ」と。
その後、大学の先生方から、「最近はネットの言説をそのまま信じて、それをもとに基地の是非を論じたりする学生たちが多くて困っている」という話を聞きました。今から10 数年前のことです。ネット上の言説が現実社会に影響を及ぼしてきているということで、フェイクニュースの見破り方のような連載を始めました。たとえば、普天間飛行場はもともと何もない場所に作られて、それから基地の周辺に人が集まってきたという代表的なデマがあります。しかし、基地以前から人々の暮らしの営みがあり、基地は米軍が土地を接収して人をどかせて作ったものです。私たちは古地図や写真などのファクトをもって、そのデマを打ち消していきました。このような活動が今回のファクトチェックのベースにあります。
一方で、以前「沖縄の2紙はつぶさないといけない」と言った作家の百田尚樹さんらが、われわれがつぶしてきたデマを持ち出してきます。なまじ影響力が大きいので、初めて接する人たちがだまされてデマがふたたび広がっていきます。そうすると、以前書いたことを繰り返し書かざるをえなくなります。
―選挙報道でファクトチェックをするのは初の試みだそうですが。
昨年4月から東京支社勤務になったのですが、知事選の取材班で昨夏にいったん那覇へ戻りました。これまで選挙取材にはあまり携わってこなかったので、どうせなら面白いことをやりたいと思い、ファクトチェックとかツイッター分析を提案しました。
有権者に正しい情報に基づいて投票してほしいという思いがありました。投票は民主主義を支える根幹。それが間違った情報に基づいてなされたなら、一票が揺らいでしまう。そのような投票によって選ばれた政治家が何か政策を実行するということは沖縄のために、日本のためになるのか。民主主義の根幹が揺るがされることにつながりかねない、そんな危機感がありました。
―記事の反響はどうでしたか?
ファクトチェックの看板を掲げた記事としては4本出しました。反響は大きかった。どうやって書いたのか、自分たちもやりたいがどうすればいいのか、技術的な問題はどうクリアしたのか、など同業他社から実践的な質問を多くいただきました。今回の経験についていろんな場所でお話しする機会もいただいています。
ファクトチェックというと何か特別なことのように聞こえますが、普段やっている取材とそんなにかけ離れているものではありません。事実を集めて、それを構成して記事にすることに変わりはありません。
昨年2月、産経新聞が「沖縄で交通事故にあった日本人を助けようとした海兵隊員が後続車にはねられて意識不明の重体になっている」と報道、この「事実」を報じていない沖縄の地元2紙を「日本人として恥だ」と批判しました。その後、私たちが調べてみると、産経新聞が報じているような事実は確認できなかった。結局、産経は事実が確認できなかったとして1面で記事を撤回しておわびしました。これもファクトチェックの事例でしょう。
―フェイクニュースが出てくるメカニズムについてどうお考えですか?
知事選のファクトチェックでは表面にあらわれた言説のみをチェックして正すだけで精いっぱいでした。誰がフェイクニュースを発信しているのか、それは意図的なものなのか―。年明けから「沖縄フェイクを追う」というタイトルで、それを探る連載を始めました。何らかの意図を持った人たちがぼんやりと霞がかかった向こうにいるなと感じましたが、正体をつかむまでにはいたらなかった。これが第1段階とするなら、そのフェイク言説に対して軽い気持ちでリツイートしたり「いいね」を押す、それが拡散の第2段階です。―フェイクは叩いてもゾンビのように立ち上がってくる。やっていて徒労感みたいなものはありませんか?
「ああ、また来たか」という感じですね。これはあるメディアの方から聞いた話ですが、あるデマが発信されて、それを打ち消す記事を書くとします。単純に数字の話をするなら、その正しい情報を提供する記事の拡散がデマを上回らないとデマを打ち消したことになりませんが、現実にはなかなか読まれません。なかなか追いついていない。徒労感というか、「まだまだ足りない」感、「まだまだやらなきゃいけない」感が押し寄せてきますよね。
―なぜ沖縄がフェイクのターゲットになるのでしょう?
単純化して言うと、権力を批判する、権力にもの申すということに対する風当たりが強まっているのではないでしょうか。それを考えるうえで象徴的なのが2013年の「東京行動」です。オスプレイの沖縄配備に反対する沖縄の全市町村首長が東京で抗議集会に参加し、銀座の通りをデモしました。街頭では「非国民」「いやなら日本から出て行け」というヘイトスピーチを浴びせられました。参加者はみな驚いていました。ヘイトスピーカーたちもそうですが、その隣でまったく無関心に歩いている東京の人々に、です。
在日コリアンが特権を持っているという言説も端的にフェイクですよね。お上にたてつく対象にヘイトを投げつける、その対象に沖縄も入ってきている。お上に物申すということであれば沖縄は昔からやっていますが、ではこんなにバッシングされていたかというと、やはりこれは、みなが発信者となり、匿名性の陰に隠れて発言することが可能となったネットの発達による変化だといえるのではないでしょうか。
―基地問題の取材に長く携わってこられましたが、この問題についての沖縄の民意をどう見ますか?
今回の県民投票で辺野古埋め立てにあらためてNOが突きつけられました。翁長県政誕生の少し前から、辺野古移設にNOという民意がずっと示されています。新たな基地はいらない、そもそもなぜ普天間の移設先が県内なのか、なぜ沖縄の中でたらい回しにされるのか、それに否を突きつけている。鳩山政権以降明らかになったことは、沖縄だからというよりも、沖縄以外の地方が受け入れない、日本全国が自分たちのところに基地が来るのは嫌だということです。沖縄自身がNOと言っているのに、それでもまだ押し付けようとするのか、それは果たして民主主義なのか、「いじめ」ではないのか。昨年亡くなった沖縄大学元学長で同大名誉教授の新崎盛暉さんは、沖縄が置かれた状況を「構造的差別」と呼んでいました。
こういうことを言うと本土の人たちは、「自分たちは沖縄のことを差別してない」と言う。沖縄に基地を置き続けている政権を消極的にでも支持しているということは、この構造に後ろ向きにでも加担しているのではないか。それはまさに、意識するとせざるとに関わらず差別に加担しているということです。その現状を見たくない、差別ではないと思い込みたい人たちが基地の沖縄集中を支えている。
―安倍政権は「沖縄に寄り添う」と言っています。沖縄の地元紙記者が東京から沖縄をめぐる問題を取材すると何が見えてきますか?
2009年の民主党政権発足の時にも東京に赴任しましたが、その時もメディアで沖縄はもっぱら政局に関連づけて論じられていました。今は政権が沖縄の話を聞かないという状況になっています。その冷淡さは、「知らない」または「知ろうとしない」ところに根っこがあるのではないでしょうか。歴史認識の欠如も少なからずあるでしょう。学びすらも受けつけない、「知らないでいい」と。安倍政権は「沖縄に寄り添う」と言っていますが、とてもそうは見えません。
歴史認識の問題についてもう一つ。これまでで印象深い取材の一つに2007年の沖縄戦「集団自決」をめぐる教科書検定問題があります。文部科学省が教科書検定で「集団自決」の記述から軍の強制を削除・修正させたことが問題になりました。沖縄では大きな抗議運動に発展し、宜野湾市での県民大会には11万人が参加しました。
私も取材しましたが、沖縄戦を体験した高齢者からひ孫まで4世代にわたるような家族連れの姿もありました。自分たちが悲惨な目に遭わされた、その事実がなかったことにされることに対しての強いNO。経験者だけではなく、下の世代にも記憶を受け継いでいくという歴史認識の継承の意味で象徴的な出来事でした。
沖縄と朝鮮は浅からぬ関係がある。沖縄には徴用工として連れてこられて亡くなった人や旧日本軍性奴隷制被害者の女性もいた。
滝本さんいわく、琉球新報に入社すると組合で企画する勉強会に参加するのだという。糸満市にある「平和の礎」、読谷村の恨の碑など朝鮮に関りのある史跡もめぐる。
集団自決と徴用工、沖縄と朝鮮という虐げられてきた両者の歴史認識をめぐる共通点について滝本さんは語る。「徴用工問題でいえば、強制的に連れてこられたその事実に対して『前に謝ったからもういいでしょう』という話ではない。あなたたちはその事実をしっかりと歴史に刻んでいるのか、という話でしょう。そういう部分で両者には共通点があるような気がします」。
また、歴史を修正しようとする動きに加えて、「昔はそういうこともあったけど、それはそれでもういいじゃないか。未来を向いていこう」という「未来志向」の言説がはらむ問題をよく見るべきだと滝本さんは話す。