vol17.私、私たちは問われている~最後の地裁判決を受けて
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去る3月14日、高校無償化訴訟の福岡判決が言い渡された。地裁段階では最後ゆえ、高裁含め全国5か所での争点が網羅されていた。とりわけ東京高裁で浮上した不指定処分の二つの理由が孕む論理的矛盾(28―29頁参照)への判断が期待されていたが、裁判長は法と良心を擲ち、相も変らぬ規程13条適合論に逃げた。七例目とは思えぬ空疎な判決だった。
裁判所前の歩道では現役生徒が泣きじゃくり、傍らで卒業生が闘争歌を絶叫する。各地から駆け付けたオモニたちが「不当判決糾弾」などのコールを連呼する。裁判所の敷地内には職員が無機質な建物と同一化したかのように張り付き、構内で唱和した者に駆け寄っては「敷地内でのデモは禁止です」と繰り返す。「じゃあどこに行けばいいんですか!」。その叫びは、彼彼女らの状況を象徴していた。メディアを媒介に、差別が官民間を循環増幅し、司法がそれを是とする。至る所に浸透したヘイトによって、朝鮮人が朝鮮人として生きられる場所が削られ続けているのだ。
(続きは「月刊イオ」2019年5月号に掲載)
写真:中山和弘