vol15.ウトロの「徴用工」崔仲圭を想う
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「徴用工」と聞いて、私が思い起こす一人は京都・ウトロの崔仲圭(一九一六年生)である。「募集」の名目で日本に強制連行され、辛酸を舐め尽くした。日本社会の圧倒的多数が今、官報民挙げて埋め隠そうとしている「汚辱の歴史」の生き証人だった。
慶尚北道の小作農の家に生まれ、二六歳の時、村役場に呼び出された。「行くと広場に四〇人くらいの村人が集まっててね、日本人が居て、そのまま福岡県飯塚市の炭鉱に連れて行かれました」。既に妻と二人の子がいたが斟酌されなかった。「嫌だと思っても、言えなかった……。警察に呼ばれて何をされるか分からない」。
待っていたのは奴隷労働の毎日だった。重労働に見合う食事もない。半病人状態での危険作業で幾人もの同胞が落命した。ボタ山(捨石の集積場)に放置された遺体も見たという。「同じ臣民」のはずが朝鮮民族は人間以下だった。「日軍天皇陛下様様でね、今もそうだけど」。
抗えばリンチだ。ひたすら黙り、牛馬以下の扱いに耐え、半死半生にされる同胞からも目を逸らした。数ヵ月後に隙を見て逃げ、長崎県の軍事工場に潜り込んだ。四五年一二月、解放後の故郷に帰ったが、すでに生活基盤はない。翌春、「潜水艦(=密航)」で単身、渡日した。金を稼いで戻り、故郷で家族と暮らそうと考えたのだ。長崎の鉱山で遮二無二働いた。
写真:中山和弘