vol22.「記憶の断絶」と対峙する―金洙榮さんを見送りながら
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別れと感謝、お詫びを告げようとのぞいた棺の中に、彼は横たわって居た。白髪が増えていた以外、最後に会った時から何ら変わりない。死に化粧を差し引いても、癌で闘病していたとは思えないふくよかな、苦悶のない顔だった。社会保障からの朝鮮人排除を法廷で問うた在日「障害者」無年金訴訟の元原告団長、金洙榮さんが8月、死去した。67歳である。
サンフランシスコ講和条約発効直前の1952年3月、福井県に五人きょうだいの末っ子として出生、麻疹の予後で聴力を失った。密造酒や養豚の残飯集めで口に糊していた両親は、同胞の誘いで京都・西陣に移った。六畳一間の7人暮らし、共同便所の極貧生活だった。
日本の学校からは入学を断られ、聾学校に通ったが、そこでは自らの歴史性も、在日として生きる動機付けも得られない。展望が見えずに中退、仕事を転々とした後、オモニの手伝いを通じて機織りを始めた。でも生活の先行きは見えない。金さんの障害を「自分の責任」と思い悩んでいたオモニはある時、自らに保険金を掛けて自殺を図った。一命を取りとめベッドに横たわる母の手を握り、「オモニは悪くない、頼むから死ぬのは止めてくれ!」と懇願した痛みの記憶は、当初、陳述書にも書けなかった…。(続きは月刊イオ2019年10月号に掲載)
写真:中山和弘
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。