朝鮮のお家芸、重量挙げの新星/Vol.2 女子重量挙げ
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Vol.2 女子重量挙げ リム・ウンシム(23)
1996年7月5日、平壌生まれ。功勲体育人。
過去の主な戦績
2018年第18回アジア競技大会69キロ級:優勝
19年アジア選手権71キロ級:優勝
19年世界選手権64キロ級:準優勝
19年ワールドカップ71キロ級:優勝
朝鮮のお家芸、重量挙げの新星
金宥羅(朝鮮新報平壌支局)
朝鮮の「お家芸」ともいえる重量挙げで成長株として注目を集めるのがリム・ウンシム(23、機関車体育団)だ。2012年ロンドン五輪69キロ級、16年リオデジャネイロ五輪75キロ級を制した朝鮮重量挙げ界のエース、リム・ジョンシム(26)を姉に持つ。目指すは、姉妹でのW金メダルだ。
「神童」と呼ばれた姉のジョンシムに憧れたリムは9歳から重量挙げを始めた。もともと筋肉量や跳躍、握力が秀でていたリムは、国内では負けなし。しかし、世界の壁は厚く、怪我に悩まされ成績は伸び悩んだ。怪我の痛みによる練習不足が続き、自信を喪失した日々を送った。
そんなリムを支えたのは、最も身近な選手、目標である姉の言葉だった―「私も同じように苦しい時期を経て五輪メダリストになった。自分がいったん、選んだ道ならば、不断の努力を重ね、自信を持って乗り越えなさい」。
治療とトレーニングを並行し迎えた16年の世界青年選手権。63キロ級に出場したリムは、爆発的な瞬発力と絶妙なコントロールで金メダルを獲得。挫折を乗り越え得たものは、「地道な練習は決して裏切らない」という自信。天性のフィジカルに強い意志が加わることで、より一層選手として磨きがかかった。
18年のアジア競技大会で69キロ級に出場し、アジアの頂点に立ったリム。アジアを制し、芽生えた次なる目標は「東京五輪での勝利」だ。18年11月から、東京五輪予選を兼ねた国際大会が行われる中、代表地区予選の1つである19年アジア選手権(4月)では、姉妹で金メダルを獲得。夢の実現に向け、着実に駒を進めている。
「自分の力を信じ、記録を更新し続け、世界の舞台で朝鮮国旗をはためかせたい」と語るリムの表情は自信に満ち溢れていた。
いくつ知ってる? オリンピックと朝鮮
2020年の東京五輪・パラ五輪を前に、知っているようで知らないオリンピックと朝鮮に関するさまざまな記録や雑学を紹介します。2回目は、五輪で活躍した名選手の記録にまつわるテーマを中心に取り上げます。
110大会に出場、初出場は72年ミュンヘン大会
これまで五輪に出場した朝鮮選手の中で、大会連覇を達成している選手は2人いる。男子レスリングのキム・イル選手と女子重量挙げのリム・ジョンシム選手だ。
キム・イル選手は1992年のバルセロナ大会と96年のアトランタ大会の男子レスリング・フリースタイル48㎏級(現在は廃止階級)で金メダルを獲得。朝鮮選手としては初の五輪連覇および複数の金メダルを獲得した選手となった。
一方の女子重量挙げのリム・ジョンシム選手は、2012年ロンドン大会の69㎏級で優勝。続く16年リオデジャネイロ大会では1階級上の75㎏級を制した。20年東京大会で朝鮮選手初となる五輪3連覇の偉業を達成できるかに注目が集まっている。
2最多メダル獲得選手はケ・スニ/4大会出場も最多
五輪でもっとも多くのメダルを獲得したのは女子柔道のケ・スニ選手だ。1996年のアトランタ大会で金メダル、2000年のシドニー大会で銅メダル、04年のアテネ大会で銀メダルと計3つのメダルを獲得した。初出場となったアトランタ五輪では、当時48㎏級で84連勝を記録していた圧倒的優勝候補の日本の田村(現姓:谷)亮子選手を決勝で破って優勝、世界を驚かせた。続くシドニー大会(52㎏級)とアテネ大会(57㎏級)は金メダルは逃したもののいずれも表彰台に立ち、3大会連続のメダリストとなった。
また、ケ選手は96年のアトランタ五輪から2008年の北京五輪まで4大会連続で出場したが、これは朝鮮選手の五輪歴代最多出場記録となっている。
3幻と消えた64年東京五輪参加
1964年の東京五輪(10月10日~24日)に朝鮮は選手団を派遣したが、結局参加を取りやめた。これは、インドネシアがアジア、アフリカ諸国に呼びかけて前年の11月に開催したGANEFO(新興国スポーツ大会)に朝鮮が参加したことに端を発している。国際陸上競技連盟など複数の国際競技連盟は各国の競技連盟に対し、GANEFOに参加した選手の資格を停止すると警告。国際オリンピック委員会もこれを支持した。
朝鮮はこれを「不当な制裁」と非難、資格停止処分が覆らない限り大会参加をボイコットすると表明した。結局、参加選手への資格停止処置は開幕直前になっても解かれることはなかった。10月4日に日本入りした朝鮮選手団だったが、不参加の決定にしたがって10日、帰国した。選手団には女子800mの当時の世界記録保持者で、優勝候補と言われた辛金丹選手も含まれていた。