【特集】世界から안녕하세요!
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朝鮮民族は、日本の植民地支配、長引く祖国分断によって、世界各地への離散を余儀なくされ、その地でたくましく生きてきた。中でも米国、中国、日本にコリアンが多く暮らしているが、近年は新たな可能性を求め、海外で暮らす在日コリアンが増えている。海を越えて暮らす同胞たちの思いから、私たちの存在と可能性を探りたい。
世界から안녕하세요!
①在日コリアンの会も作りました
李玉希さん(イタリア・ミラノ、48)
②いつか祖国のコールドチェーン構築を
朴清剛さん(タイ・バンコク、43)
③多様な文化に触れ、人生の糧に
黄純実さん(フランス・パリ、20)
④夢の海外生活を実現して
権純哲さん(マルタ共和国、25)
エッセイ「海を渡って見えたもの」
日本を飛び出して海外で生活する同胞たちに、現地での暮らし、そのなかで得た気づきや新しい自分との出会いについて書いてもらいました。世界各国から寄せられたエッセイをお楽しみください。
①ルーツの見え方、これ醍醐味
崔奈央(24、イラストレーター、台湾・台北市)
私は現在台湾・台北市に住んでいる。大学を卒業してからすぐ移り住んだため、もうすぐ在住歴は2年になる。
きっかけは台北にある日本人保育園で働くためだった。台湾なんて行ったこともなかったし中国語は「ニーハオ」と「シェイシェイ」しか知らなかったのだが、就職先の保育園の環境が良かったので即決した。初めての台湾、人々が何を話しているのかさっぱり分からない。建物もすべてが同じように見えて自分がどこにいるかも分からない。でも仕事は主に日本語だし他の職員さんたちが助けてくれたので、言葉が分からなくても何とかなった。
しかし同時に、…
②在日コリアンとは、をプレゼンする
李勇燦(29、研究者、ドイツ・フランクフルト)
2018年6月からドイツで暮らし始めた。ポストドクターとして、フランクフルトにあるマックスプランク研究所で働いている。ここは世界的にも有名な研究所だけあって、様々な国から人が集まる。
研究者というと、研究のことばかり考えていると思われがちだが、当たり前のように人としてコミュニケーションをするし、相手を知ることは重要な礼儀作法でもある。同僚たちも、会話を重ねるうちに私が日本から来たコリアンだということをなんとなくは理解してくれた。それでも、雑談をしているとしばしば面白い質問が出る。
「ヨンチャンってふだん何を食べるの? 日本食? コリアンフード?」…
③Uniqueな自分で
金裕香(30、通訳/アーティスト、カナダ-日本)
2016年、私はカナダにあるケンブリッジという小さな街の家具屋さんで働いていて、スペースデザインやディスプレイを担当していた。そんなある日、ソファやチェアの張り替え用サンプル布が大量に捨てられるのを目の当たりにする。生地にもトレンドがあるため人気の無い色や柄はオーダー終了となり、サンプル生地もゴミとして処分されるのだ。
この生地を再利用して何か作りたい…。そうして色々作ってみるうちに、唯一無二のバッグを販売する「Deko Boko」というブランドが生まれた。東京に帰ってきた今も、カナダで買いつけたサンプル布で作品を作っている。どれも個性的で、私のカナダ生活を象徴しているようである。
私がカナダに留学した7年間はとても濃くて忘れられない日々だった。…
④互いに助け合う地域社会
金克美(60、ライター/翻訳、米国・ニューヨーク)
2009年12月。13歳になる娘を連れて再婚のため米国に移住した。ニューヨークでの生活は今年で10年目になる。人種のるつぼといわれるニューヨーク州でも、アジア人は全体のおよそ14%にすぎず、そのほとんどは中華系移民。朝鮮半島出身者、いわゆる在米コリアンはわずか1.2%のおよそ10万人。米国でコリアンはマイノリティのなかのマイノリティなのだ。
移住して以来、ニューヨーク州を中心に配布される日本語紙に記事を書いている。そういった関係で知り合うのはやはり日本人が多く、在米コリアンのコミュニティに関わりを持つ機会は少ない。在米コリアンとの数少ない出会いのなかで話題になることが多いのは、次世代にウリマルをどうやって伝えるかという共有する悩みだ。
うちの近くに韓国人夫妻が経営する小さな魚屋がある。…
⑤エキサイティングな日々、ワクワクの挑戦
安真也(31、サッカー選手、オーストラリア-日本)
愛知朝鮮中高級学校を卒業後、「プロサッカー選手になって、サッカーで生きていく」という夢を実現するため、朝鮮大学校体育学部に進学。サッカーに明け暮れた学生生活を送った。当時はJ3もなく、Jリーガーになるのは狭き門。「Jリーグに行くか、サッカーを辞めるか」という選択肢が迫られたなかで、Jチームから声はかからず、ご縁があって福井県の社会人チームに入った。
卒業1年目、自身のプレーに手ごたえを感じつつも、プレーを見に来る人は少なく、盛りあがりに欠けていた。そんな中、海外に挑戦する選手たちを目の当たりにして、自分のなかで視野や選択肢が広がっていった。2年目は地元・三重県の社会人チームに所属しながら、海外挑戦への準備を進めた。…
⑥在米する在日コリアンという生き方
金美穂(47、社会運動家、アメリカ・サンフランシスコ)
米国に移住して20年が経つ。
在日3世、福岡で生まれ育った私が初めて海外に出たのが10歳の時。医師だった父の米国留学についていって、2年間滞在した。きっかけは民族差別だった。当時、民族名で通っていた日本学校で暴行を受けて大けがをした。父は「自由の国アメリカは、何人だろうが平等に扱ってくれるかもしれない」と考えたのだろう。それで、避難するように渡米した。
それから日本へ戻り、高2から再び米国へ。大学を出て大学院に入る準備をしていたら、事務的なミスで再入国許可を取得しておらず、日本での特別永住資格を失ってしまった(その後、幸運にも米国で永住権を取ることができた)。…
世界に749万人、なぜコリアンは海外に?
朝鮮半島以外の海外に暮らす在外コリアンは約749万人。193ヵ国に及ぶ。なぜこれほど、多くのコリアンが暮らすことになったのだろうか―。米国、中国、ロシア地域に移住した歴史を見る。
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渡航時のトラブルにご用心!
海外への渡航や日本との往来の際、どのようなトラブルが予想されるのでしょう? 同胞法律・生活センターに聞きました。
文時弘(同胞法律・生活センター)
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私たちの歴史や文化、伝えていきたい/ノルウェー暮らしは8年半
李敬史(38、オリエンテーリング朝鮮代表、大学院生)
과세 안녕하십니까. 私、リ・キョンサは福岡県の筑豊地区出身の在日朝鮮人三世です。現在、ノルウェー北部の最大の都市であるトロムソ(Tromsø)という所に住んでいます。トロムソは北極圏に位置することから、オーロラを頻繁に見ることができ、美しく豊かな自然に囲まれた都市で、現在は一日中太陽が昇らない「極夜」という時期に入っています。
①なぜノルウェーに渡ったのか
そのような場所で私は現在、オリエンテーリングとクロスカントリースキーの競技活動に加えて、トロムソ大学の修士課程で政治学を学んでいます。この原稿を書いている現時点では、今年の夏に提出予定の修士論文の執筆に取り組んでいます。修士論文のテーマは主に、国際関係論の観点から北極をめぐる様々な問題と、韓国社会と日本社会との関係について。論文は、ノルウェー語で執筆しています。
2011年7月にノルウェーのオスロに渡っておよそ8年半が経過しました。当時ノルウェーへ渡った理由は主に二つで、…
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