vol.28 謝罪を受けて死にたい…大法院判決執行を待つ、梁錦徳さん
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ちょうど40年前、5・18光州民衆抗争の「主戦場」となった旧全羅南道庁舎にほど近い住宅街、半地下6畳間のベッドにもたれて彼女は呟いた。「勝ったけど、謝罪も賠償もない……」。裁判に関する質問は、軒並みこの思いに収斂されていく。梁錦徳。大法院で勝訴した「徴用工」裁判の一つ、三菱重工名古屋訴訟の原告の一人。既に数えで91歳である。
1929年、羅州で生まれた。
国民学校6年の1943年、日本人の校長が2人の憲兵を伴い教室に来た。「日本に行けば女学校に通えて、家を買えるだけの金を稼いで帰れる。行きたい者は手を上げろ」。学びへの憧れがあった。難色を示す父に黙って印鑑を持ち出し、教師に渡した。いまだ贖われぬ「苦難」の始まりだった…。(続きは月刊イオ2020年4月号に掲載)
写真:中山和弘
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。