「自身も“差別”感じたからこそ」/vol.5 向山紀美子さん(「アイ女性会議」長野県本部事務局長)
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2018年、「朝鮮の自主的平和統一を支持する長野県民会議」が主催する日朝長野県民会議訪朝団の一員として、初めて朝鮮民主主義人民共和国を訪問した向山さん。現地での経験、日本へ帰ってきて感じたことなどについて聞いた。
桜の縁から「行ってみたい」
―朝鮮とのつながりについて教えて下さい。
私が暮らしている辰野町には沿道400mに及ぶ桜並木があるのですが、この桜は1960年、辰野に暮らしていた在日朝鮮人の方々が朝鮮へ帰国する際に植えて下さったものなんです。
数十年前、道路整備のためこの桜を切る話が出た時に、歴史を知る夫が「この木は残さなきゃいけない」と言って説明板を作り、その過程で私もこの事実を知りました。戦中、戦後に朝鮮の皆さんはあちこちで差別を受け、辰野でも同様だったと思います。それでも記念にと桜を残して下さった話を聞き、朝鮮と辰野の縁を感じていました。
また、私が小学生の頃にはお隣に朝鮮人のご家族が住んでいました。男の子がいたんですが、私と同級生で。学校では普通に日本語を話しますが、家族と話している時に別の言葉が聞こえることがあったので、子ども心に日本人ではないんだなと思っていました。
地域にしても学校にしても、差別的な扱いを受けることはあったんじゃないかなと思います。子どもが差別するのは親が教えるからなんですよね。私の父は警察官をしていて、どちらかというと人を取り締まる側の仕事をしていましたが、差別をしちゃいけないということ、人の見方、接し方は父が教えてくれたんですね。
反対に、私自身も「あの子は警察官の子どもだから」と差別的に見られているのでは、と周囲の視線に敏感だったところがあって、それが人格や考え方にも少なからず影響しているのかなと考えたことがあります。そういった経験も意識に残っていたのかもしれません。…
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