始まりのウリハッキョ編 日本語教育の礎築いた人びと vol.53「日本語」教科書の歴史(下)
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先月号に引き続いて、今月号では1980年代以降の日本語教科書編さんの歴史を、編さん事業に携わった人びとの証言とともに振り返る。
90年代の全面改編
1980年代以降の日本語教科書の改編では、定住志向を反映し、日本の実情に合わせた方向で日本語教育を強化するというコンセプトがより明確になった。83年~85年の第4次改編では、初・中・高合わせて533時間を増やした日本語科目で、児童・生徒たちの年齢・心理的特性に合う多様な教材を収録。世界文学の日本語訳が中高の各学年の教科書に掲載されるのもこの時からだ。俳句などの日本の古典や漢詩、唐詩なども中級部から体系的に掲載されるようになった(本格的には90年代の第5次改編から)。
そして、民族教育における教科書改編事業でもっとも画期的だったのが、93~95年の第5次改編。変化した環境にそって行われた、これまでにない全面的な改編だった。当時、学友書房副社長兼編纂局長だった宋都憲さん(84)は、「全122点の教科書の内容はもちろん、叙述方法と編集方式、写真や挿絵にいたるまで一新した。科学技術の時代、国際化時代に合わせて、統一祖国はもちろん、日本と世界で活躍できる人材を育てることを念頭に置いた」と評価する。この第5次改編は、その後の教科書編さんの方向性を決定づけた。
日本語科目で強調されたのが、「日本語教育とは言語教育である」という点だ。言葉の勉強の核となるのが理解能力(読むこと、聞くこと)と表現能力(話すこと、書くこと)。言語教育はこの4つの技能を高めることを目的とするが、90年代の改編ではとくに表現能力を高めることに力を入れた。具体的には、作文の方法、実例文などの教材や作文の時間を増やした。また、話し方教材も増やした。
90年代からさまざまな日本語スピーチコンテストに朝鮮学校の生徒たちが積極的に参加し、各種の賞を受賞したことは、朝鮮学校における日本語教育の成果の一つと言えるだろう。
日本の実情に合わせて
90年代末の総聯教科書編さん委員会の規模は17分科、145人にのぼった。
国語(朝鮮語)や歴史などの民族科目と違い、外国語科目の教科書は日本の実情に合わせて、現場の教員や学友書房の編さん委員たちの力に全面的に依拠して編さんされた。
日本語教科書編さんでは、学友書房の編さん委員、編纂局長などを歴任した李成出さん(1942~2016年)の功績が大きい。李さんは広島大学で中国文学を専攻。同大大学院を経て、66年から広島朝鮮中高級学校の教壇に立った。74年に学友書房へ移ってきた後は、担当編さん委員として06年まで長きにわたって日本語教育の発展に力を尽くした。
当時の教科書編さんの作業は、夏休みの時期などを利用し、地方の朝鮮学校や避暑地の宿泊施設を借りて、合宿形式で集中的に行うことが一般的だった。
朝鮮大学校元教員の全潤玉さん(82)と権載玉さん(1933―2020)、李花淑さん(72、東京朝鮮第2初級学校前校長)、李政愛さん(72、西東京朝鮮第2初中級学校前校長)をはじめ十数人の教員たちが李成出さんと同時期に編さん作業をともにした。
68年4月から北大阪朝鮮初中級学校を皮切りに朝鮮学校の教壇に半世紀以上立ち続けた李花淑さんは80年代、90年代、2000年代と3回の改編に携わった。「責任の重さを痛感する一方で、それ以上に、教科書編さんに携わることのできる喜びが上回った」と振り返る。
李さんは主に中級部の教科書を担当した。編さん作業をともにすることが多かったのが、全潤玉さん、李政愛さんの2人。「政愛先生はこだわりタイプ、潤玉先生は学者タイプ、そして私は適当なタイプ(笑)。互いに考え方の違いもあったので意見をたたかわせることも多かった。そこで『まあまあ』となだめながら議論を仲裁したのが成出さんだった。この作家のこの作品のどの部分を収録すべきか議論を重ねる際には、その作家に関する幅広く深い知識で具体的に問題点を指摘してくれたことが思い出される」。
李花淑さんは、朝鮮学校の教科書に障害者についての文章が載っていないので、93~95年の改編から中2の教科書に「愛、深き淵より」(星野富弘)を入れたことが印象深いと話す。茨木のり子や石牟礼道子を取り上げたのも、女性文学者の作品が少なかったからだ。「当時の教員たちは民族教育全般のことを考えて編さん作業に取り組んでいた」(花淑さん)。
時代を反映した教材収録
2000年代に入ると、21世紀の同胞社会を継承・発展させていく人材、北南朝鮮と日本と国際社会で活躍できる資質と能力を兼ね備えた人材の育成が望まれるようになった。2003~06年の教科書改編は、幅広い同胞たちのニーズを積極的に取り入れる方向で行われた。とくに、外国語教育では日本語と英語のコミュニケーション能力と読解、作文能力、朝鮮語と日本語のバイリンガル能力を育てることに重点が置かれた。
朝鮮大学校外国語学部教員の許哲さん(50)は03~06年の第6次改編と13~17年の第7次改編に携わった(初級部担当)。許さんが朝大研究院を経て学友書房に入ったのが93年。当時は第5次教科書改編の真っ只中だった。
許さんは「日本語は在日朝鮮人にとって第一言語であり、生活言語、学習言語だ。日本語の能力=学力であるといっても過言ではない」と語る。最近の第7次改編で印象深いのは、初6の教科書に地球温暖化とバリアフリーの問題をテーマにした説明文を載せたことだという。「昔はこのようなテーマの文章は載らなかったので、隔世の感があった」。このような説明文教材は、「論理的思考力を養うという目的と同時に、社会のさまざまな問題に関心を持たせるという意味合いもある」と許さん。「朝鮮学校にも障害を持った子どもたちが通うことは今やあたり前になった。時代の変化の中で私たちは何を価値として認めていくのか。朝鮮学校で学ぶ子どもたちには、社会と向き合う際に内に秘めた強さと優しい目を持ってもらいたい」(許さん)。
朝大外国語学部長の李永生さん(58)も90年代から教科書編さんに携わってきた。最新の日本語教科書(中・高)の特徴について、「自身のアイデンティティと向き合う教材が入っていること」を挙げる。高演義さん(朝大客員教授)の著書「民族であること」の一文が中3教科書に載り、高3教科書には月刊イオに連載された徐勝さんのエッセイ「在日同胞とわたし」の一文が入った。元ハンセン病患者の金夏日さんの「点字と共に」など、在日朝鮮人に対する差別をテーマにした作品も収録された。また、これまで教科書の中に収録されていた文法と古典に関する内容を分離させ、それぞれ「日本語文法」(中級部)と「古典」(高級部)という3年間使用する独立した教科書にした。
「日本で朝鮮人としてよりよく生きるためには、日本をよく知らなくてはいけない。日本語科目が果たす役割は大きい」(李さん)。