福島ハッキョと歩んだ9年間
広告
長男の卒業を支えてくれた人たち
玄麻美(郡山市在住・41)
東日本大震災が起きた2011年に長男が福島朝鮮初中級学校に入学し、今年3月に卒業を迎えた玄麻美さんに、この9年間を振り返ってエッセイを寄稿してもらった。
福島から新潟、ふたたび福島へ
長男の知晃が今年の3月で福島朝鮮初中級学校を卒業しました。初級部入学から中級部卒業まで9年。単純な年数で考えると長いかもしれませんが、親の立場からすればあっという間の9年間でした。
長男の初級部入学は2011年3月に起こった東日本大震災と福島第一原子力発電所の爆発事故と重なりました。当時、私自身はウリハッキョ(朝鮮学校)のことはもちろん生活面でも不安がいっぱいでしたが、長男はまだ小さかったので現実を理解するのはむずかしく、いつもどおりのやんちゃぶりでした。
長男のウリハッキョ生活の始まりは、新潟朝鮮初中級学校での合同授業。福島第一原発の爆発事故の影響から子どもたちを守るため、保護者や教職員たちで何回も話し合って決めました。
長男の初級部入学は2011年3月に起こった東日本大震災と福島第一原子力発電所の爆発事故と重なりました。当時、私自身はウリハッキョ(朝鮮学校)のことはもちろん生活面でも不安がいっぱいでしたが、長男はまだ小さかったので現実を理解するのはむずかしく、いつもどおりのやんちゃぶりでした。
長男のウリハッキョ生活の始まりは、新潟朝鮮初中級学校での合同授業。福島第一原発の爆発事故の影響から子どもたちを守るため、保護者や教職員たちで何回も話し合って決めました。
…
全文をご覧になるには本誌2020年6月号をご覧ください。購読お申し込みはこちらへ。