vol.30 “怒りと無念、解いて―” “ヒロシマ”問うた李実根との約束
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「侠」のある人だった。「任侠」の侠である。それを本人に告げると、塩辛い声でこう言って笑った。「私、『ヤクザ活動家』と呼ばれてましたから」。
非合法活動による獄中経験、民族団体での活動、被爆者団体の設立など、闘いの日々で培った胆力と突破力、後先を考えぬ大胆さは、確かに「その筋」でも大成したかもしれないと思わせるが、李は欲得や面子に生きるヤクザと違い、それらの「武器」を人のために惜しみなく使った。平気で損ができた彼は、まさに「侠」があった…。(続きは月刊イオ2020年6月号に掲載)
写真説明:1998年5月、パキスタンの核実験に抗議して、慰霊碑前で座り込む
写真:中山和弘
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。