三党共同宣言から30年、「オヤジの遺志継いで」/【朝鮮を語ろう】vol.8 金丸信吾さん(故金丸信・元副総理秘書)
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1990年9月、父・金丸信元副総理が訪朝し、朝鮮労働党と自民党、日本社会党による「三党共同宣言」に署名した際に秘書として同行した金丸信吾さん(75)に、朝・日関係のエポックを画した30年前の出来事を振り返ってもらった。
―朝鮮民主主義人民共和国とのかかわりの原点は?
1990年9月の金丸訪朝団に随行したのが初の訪朝です。
オヤジ(編集者注=金丸信・元副総理)を日朝交渉の場に引っぱり出したのは日本社会党の田辺誠副委員長でした。朝鮮に抑留されていた漁船「第18富士山丸」の船長らの問題で、当時、朝鮮側との窓口を持っていた社会党が解放交渉をしていましたが、うまくいっていなかった。田辺さんは「与党のそれなりの格の人物が行かないとだめだ」ということでオヤジに白羽の矢が立ったのです。
―今年はその金丸訪朝団と三党共同宣言から30周年の年です。
オヤジの訪朝はその時の一度きりでしたが、ここで重要なのは、金日成主席と金丸信の会談で日朝国交正常化のための政府間交渉を開始したいという提案が金主席からなされたということです。三党共同宣言では、日本の朝鮮植民地支配と戦後45年間に朝鮮側が被った損失に対して謝罪、補償すべきであることを認め、両国間の国交樹立のための政府間交渉を始めるよう働きかけることが合意されました。そして実際に政府間交渉が始まりました。
当時はマスコミや右翼から「土下座外交」などと猛烈に叩かれました。…