【ニュース PICK UP】「あきらめず、前を向く」「連帯の輪こそ財産」―記者会見、報告集会での言葉、言葉、言葉
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広島無償化裁判の控訴審で控訴棄却の判決が下された10月16日。法廷、裁判所前、判決言い渡し後の記者会見、そしてその日の夕方に開かれた報告集会の場には、裁判の原告である広島朝鮮学園の関係者と卒業生のほかにも、判決を見届け、原告を勇気づけるために県内外から多くの人びとが駆けつけた。
「私たち少数派はどこに訴えればいいのか」
この日の法廷には、109人の原告を代表して判決言い渡しに立ち会った広島朝鮮初中高級学校の卒業生たちの姿があった。
「本件各控訴をいずれも棄却する―」。判決の要旨を聞く原告たちの背中は震えていた。傍聴席には目に涙を浮かべる学校関係者、支援者たち。ときおり、鼻をすする音も聞こえた。
裁判所前では「不当判決」の旗出しと同時に、判決を非難するシュプレヒコールが飛んだ。
「高裁で9回の口頭弁論があったが、いったい何の意味があったのか。地裁では認められなかった証人、保護者尋問も実現したが、あれも一体何だったのか―」。当事者、弁護団、支援者の言葉の端々には怒りと落胆の色がにじんでいた。
「控訴審が始まって2年、私たちは無駄な時間を過ごしたのか。日本の司法は、行政が右と言えば右、左と言えば左を向く、そういう判断しかできなくなっている。これからわれわれ少数派はどこに訴えればいいのか―」。記者会見で発言した金英雄理事長の声は怒りに満ちていたが、「われわれは決して下を向かない」と気持ちを奮い立たせるように語った。
「判決を聞いて、『またか』という気持ちだ。日本の人権途上国ぶりには憤りを通り越してむなしさしかない。後輩である在校生たちには、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」。原告男性もときおり声を震わせながら心境を吐露した。
今年4月から校長を務める李昌興さんも、「あきれてものが言えない」と判決を非難した。「日本は朝鮮と名の付くものに対して何をしても許されるという社会風潮になっている。幼稚園児から大学生まで朝鮮学校で学ぶすべての子どもたちが支援の枠組みから外されている。これが、民主国家をうたう日本で、現在進行形で起こっている事態だ。子どもたちは朝鮮学校に通っているというだけで排除されている。75年も続いている学校に対してこの仕打ち、本当に腹立たしい。しかし、この司法の判断は必ずや覆るだろう」(李さん)。
「私たちの口を封じるマスクを外そう」
この日、18時半から広島朝鮮初中高級学校で判決報告集会が開かれた。新型コロナウイルス感染防止対策のため出席者の人数を絞り、会場内の間隔も広く取ったが、それでも200人を超す人びとが集まった。
集会では、原告を代表して、広島朝鮮初中高級学校で教員を務める女性が発言した。「法廷で判決を聞いた瞬間、頭がぼーっとして何も考えられなかった。裁判所を出ると、朝高生たちの姿が見えた。いつも笑っている生徒たちが今日は泣いていた。その姿を見て、『ああ、負けたんだ』と実感がわいた。子どもたちにそのような思いをさせる大人たち、そして日本という国が憎くてならなかった。泣いている高校生たちに何と声をかければいいのかわからなかった、これ以上頑張ることがあるのか、差別を受けながらもう十分頑張っている生徒たちに『まだがんばろう』と言わなくてはいけないのか。…もしかすると、最高裁も今回のように私たちが望む結果にはならないのかもしれない。それでも私たちがすべきことは、これからも間違っていることに対しては声を上げ続けること、不当なことに対して『それはおかしい』と言い続けること。私たちがあきらめた時、立ち上がることをやめた時、それは自らの権利や自尊心を守ることをあきらめた時だ」。
集会では東京、神奈川、静岡、愛知、滋賀、京都、大阪、福岡など日本各地から集まった人びとも壇上に上がった。
大阪朝鮮中高級学校オモニ会会長の高己蓮さんは無償化裁判闘争の意義について話した。「一連の裁判闘争では失ったものより得たもののほうが大きい。これまで見えなかった存在、日本政府が自らの植民地支配政策の負の遺産として隠そうとしてきた朝鮮学校とそこで学ぶ子どもたちを世に知らしめた。先日、日本人のみなさんとともに行ってきた火曜日行動が400回目を迎えた。さまざまな方々とつながれたことが自分の宝物だ」。
続けて高さんは、プロテニスプレーヤーの大坂なおみさんの「私はアスリートである前に黒人女性である」という言葉を引きながら、裁判闘争を通じて「私は母親である前に在日朝鮮人3世であることを身に染みてわかった」と語った。さらに、「私は祖先に感謝したい。かれらから受け継いだ血が体中を巡っている。それが、自分は負けるわけにはいかないと思わせてくれた」という大坂さんの発言を引用し、「私の体にも不屈の精神を持った在日1世の血が流れている」とのべた。「私はウリハッキョがあるかぎり、そこに通う子どもたちがいる限り、ここに集ったみなさんと最後まで頑張りたい」(高さん)。
10月30日に無償化裁判控訴審判決の言い渡しを控えている福岡からは朝鮮学校無償化実現・福岡連絡協議会事務局の瑞木実さんが朝鮮学校オモニ会の代表らとともに駆けつけた。集会で瑞木さんは、9月に亡くなった無償化弁護団の服部弘昭弁護団長をしのびながら、服部さんが生前常々語っていた言葉を次のように紹介した。「自分の弁護士生活を振り返ると、国や行政を相手にした裁判でいい判決を勝ち取ったことはそんなに多くはない。でも、あきらめたらいけない。あきらめたら喜ぶのは権力者たちだ。だから、おかしいことには声を上げていくことが必要だ。裁判闘争の中で裁判官に思い起こさせなければいけないのは、司法は権力者や行政が差別行為をした時にそれにストップをかけていくのが仕事だということ。朝鮮学校に通う子どもたちの訴えに司法がしっかりと目を向けさせなくてはいけない。決して見落としてならないのは、朝鮮学校で学ぶ子どもたち一人ひとりの姿。その子どもたちを支えるのが大人たちの責任だ」。
徳島県教組襲撃事件の原告である冨田真由美さんも次のように発言した。「掲げられた旗の『不当判決』の4文字を見た瞬間、「ともにたたかいましょう」とエールを送ってくれた四国朝鮮初中級学校の子どもたちの姿が目に浮かんで、涙が止まらなかった。なぜこの国は朝鮮学校の子どもたちを差別するのか。許せない。…今日の判決は、『朝鮮学校を差別するな』と訴え続けてきた声を司法が封じるためのマスクになった。私たちはその口封じのマスクを外して、『朝鮮学校に対する差別を許さない』と声を大にして叫び続けなければいけない」。
集会終盤、広島朝鮮初中高級学校高級部の生徒、教職員たちが舞台に上った。生徒を代表して、一人の女子生徒が決意をのべた。「なぜあたりまえの権利があたりまえに与えられないのか。私は今日、裁判官に『お前は朝鮮学校で学ぶな』『朝鮮学校で学ぶことは罪である』と言われた気がしてならなかった。法は何のためにあるのか。私たちたちをいじめるためにあるのではないはずだ。私たちがうつむけば、喜ぶのは日本政府だ。私たちは前を向く」。
朝高生の言葉が参加者らの胸を打ち、その歌声が参加者らをさらなるたたかいへと奮い立たせた。
たたかう人びとの間に生まれたつながりの輪、連帯の輪こそが裁判闘争の成果である—そんな言葉が参加者から多く聞かれた。(文・写真:李相英)