【学ぶ権利を目指して】教育に公権力が介入、司法は黙認貫く—愛知無償化裁判、最高裁が上告棄却、原告の敗訴確定
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高校無償化制度から不当に除外されたことにより学習権、平等権、人格権が侵害されたとして、愛知朝鮮中高級学校の高級部生徒・卒業生らが国に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁判所第二小法廷(菅野博之裁判長)は原告側の上告を棄却した。
文・写真:編集部
“司法の使命を完全に放棄”
上告棄却は9月2日付で決定された。日本各地5ヵ所で行われた高校無償化裁判で、最高裁による上告棄却がなされたのは東京、大阪に続き3例目となった。
愛知朝高生徒・卒業生らが国賠訴訟を起こしたのは2013年1月24日(原告は当初5人、追加訴訟で計10人)。原告側弁護団は、日本社会に蔓延する「北朝鮮」嫌悪感情、在日朝鮮人と民族教育の歴史、朝鮮学校を取り巻く環境や背景を紐解きながら、制度除外の違法性を裁判官に伝え続けてきた。また、原告たちは法廷で学校生活について振り返り、差別をやめてほしいと切実に訴えた。しかし一審、二審でも裁判官は争点をかわし、結論ありきの判決を下して国による差別を上塗りした。
内河惠一弁護団長は、過去の不当な判決内容を確定させた最高裁による判断について、「これほど酷い不当な差別、学ぶ権利の侵害はない。だが最高裁はここに憲法問題は存在しないという。さらに無償化申請手続の基盤にあった『省令ハ削除』の違法性は、民主国家として目に余るものがあった。これらを一切無視した最高裁は、司法の使命を完全に放棄してしまった」と指摘した。
弁護団は4日に声明を発表。「教育基本法16条1項の『不当な支配』を理由に、一部の外国人学校につき、教育内容を媒介にして民族団体との関係性に違法の疑いありと認定し、教育支援制度から除外した初めてのケースであ」ると最高裁判断の重大な問題点に触れた。
また、「学校で自主的に行われている教育活動の中身を行政が恣意的に評価し、生徒に不利益を与える教育基本法16条1項の解釈に対して、最高裁が自ら正当な法解釈を行わなかったことは、今後同様の教育への公権力の介入を招くおそれがある」と危機感を示した。
翌5日には、「朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知」も声明を発表。「この問題が単なる『お⾦の問題』ではなく、⽇本に未だに根強く存在する『植⺠地主義』の問題であること、原告たちにとっては、⾃分の存在と尊厳をかけた訴訟なのだということを裁判所に(そして社会に)訴えてきました。しかし、その訴えは届きませんでした」と司法への失望をつづった。
新たな連帯を力に、次の一歩
上告棄却を受けて愛知無償化裁判の原告の一人は、「証言台に立ったり、街頭宣伝や文科省前での金曜行動をしたことなどを振り返ると本当に悔しくて残念だ」と話した。一方で、「この闘いの一番の成果は、自分たちを支援してくれる日本の人びと、弁護士の先生たちと出会い、今まで以上に連帯が強まったこと。次の一歩をどう踏みだすか、みんなで考えていきたい」と決意をのべた。
弁護団の裵明玉事務局長も、高校無償化や幼保無償化など民族教育を守るための課題に引き続き取り組んでいく旨を関係者らと共有した。
中四国・九州
朝鮮学校支援団体が交流会
7県から30人が参加
朝鮮学校と共に歩む中国・四国・九州ネットワーク(以下、中四国・九州ネット)第2回交流会が8月22日、広島朝鮮初中高級学校で行われた。広島、岡山、山口、島根、愛媛、福岡、大分の各県から支援団体の代表、朝鮮学校校長ら約30人が出席した。
中四国・九州ネットは朝鮮学校を支援する活動を行っている中四国・九州の団体、個人が交流を深めると同時に情報を共有して各地の運動を発展させていくことを目的に昨年5月に発足した。
交流会では各地で行われている活動の報告があった。総聯大分県本部の白一秀委員長は県人口の3%に相当する「幼保無償化」署名3万4800筆を集めたことについて、森田徹さん(福岡地区朝鮮学校を支援する会共同代表)は福岡朝鮮初級学校の創立60周年に向けた取り組みについて語った。ほかにも内岡貞雄さん(朝鮮学校を支援する山口県ネットワーク代表)、四国朝鮮初中級学校の李一烈校長、広島朝鮮初中高級学校の李昌興校長らが発言。九州無償化裁判控訴審と広島無償化裁判控訴審の報告も行われた。
愛知
無償化裁判の本質みつめる
無償化ネットあいちが講演会
「朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知」が主催するオンライン講演と対談が8月22日に行われ、鄭栄桓・明治学院大学教授とジャーナリストの中村一成さんが登壇した。
鄭教授は「無償化裁判の本質にあるもの」と題して、植民地期からの日本の民族教育弾圧史と在日朝鮮人の教育の営みについて過去の100年史を振り返った。
鄭教授は、1948、49年の朝鮮人学校の閉鎖は、「朝鮮人の子どもはまだ日本人だ」という考えのもとに行われ、52年以降になると、「日本人ではないので、日本の学校で学んではいけない」「教育はあくまで恩恵」という考えのもと、同化の論理による弾圧を行ったと説明した。60年代も中央政府レベルでは無権利の状態が続いたものの、自治体レベルでは各種学校認可や補助金支給が進み、90年代からはスポーツ大会や大学受験資格などの門戸開放が進んできたと指摘。しかし、2000年代からは、朝鮮への制裁と並行する形で民族教育権の侵害が強まってきたと説明した。とくに「『門戸開放』による教育内容修正の誘導という政府側の論理をマスコミも援用し、世論をミスリードした。高校無償化や補助金からの排除の中で大阪府などは教育内容への過度な干渉を行ってきた」と強調。「朝鮮人の民族教育を認める言葉が日本側になく、門戸開放の論理と制裁の論理がどうやって共存してきたのかを見る必要があり、これが日本における多文化主義の限界点だ」と問題提起した。
中村一成さんは、高校無償化裁判では、「教育権」を巡る裁判に「治安管理」の観点が持ち込まれ、教育基本法を外国人学校の教育を判断する物差しにしながら、教育内容への露骨な行政権力介入(=不当な支配)が正当化されてきたと指摘した。