vol.35 2002年9月の記憶
広告
あの2002年9月、私は中東のレバノンにいた。1982年9月、パレスチナ解放機構(PLO)の戦闘員が撤退し、女性や子ども、老人ら非戦闘員が残されたベイルートのサブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプに、キリスト教右派民兵組織「ファランジスト」のメンバーが乱入、3日にわたり、殺戮と拷問、レイプに明け暮れた。判明分だけでも約2000人が殺され、今も約1000人が行方不明という。その取材だった。
事件当時、ベイルートはイスラエルが占領していた。制圧者が支配地域の民間人を守るのは国際法上の義務だが、当時の国防相、アリエル・シャロン(後の首相)は、「妨害するな、自由裁量と援助を民兵に与えよ」と指示、虐殺を後押しした。シャロンをはじめ、下手人は誰一人として相応の罪に問われていない。贖われぬ悲劇は20年後も傷口を広げ続けていた。ある老婆は「私の娘が殺されたようにシャロンを殺してくれ」と絶叫し卒倒した…。(続きは月刊イオ2020年11 月号に掲載)
写真:中村一成
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。