【イオ ニュースPick up】「ウリ学生ラガーマンの『使命』、その思い」/大阪朝高・権晶秀×朝大・呉衡基監督のオンライン座談会
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在日本朝鮮人体育連合会主催の「RAM-HONG FLAGキャンペーン&ウリスポーツラボ」第4回オンライン座談会「ウリ学生ラガーマンの『使命』、その思い -小よく大を制す、大阪朝高ラグビー部の戦いを振り返る-」が2月10日に行われ、62人の視聴者が参加した。
キャンペーンの事務局長を務める宋修日さん(朝鮮大学体育学部・学部長)が司会を務め、全国高校ラグビー大会(「花園」)で全国3位の成績を収めた大阪朝高ラグビー部の権晶秀監督(39)、関東大学リーグ2部で闘う朝大ラグビー部を率いる呉衡基監督(30)がスピーカーを務めた。
同胞の期待を胸に「使命」を全う/大阪朝高・権晶秀監督
権監督は、「花園」3位を勝ち取とった同部は、「新チームのスタートとしては順風満帆ではなかった」と、その道のりを振り返った。(以下、権監督の発言)
現在21人の3年生は、2019年度の「花園」予選にも半数以上が出場していた。「花園」への切符を逃し、新チームとして再出発する際、「先輩を押しのけて試合に出ていたメンバーたちによってこのような結果が生まれたということ」「部員が減少するなか、同部が発展していくのか、衰退していくかの岐路に立っていること」を再三強調し、厳しい言葉をたくさん投げかけた。
そこで選手たちは、本来チームが追求してきた使命、人材像である「同胞たちに力と勇気を、後輩たちに夢と希望を与える」ことを全面に打ち出し、1年間のチームスローガンとして「使命」掲げた。
チームにとって印象深かったのは、20年1月1日から福岡で行われたサニックワールドユースの予選大会に出場した際、元旦にも関わらず、福岡をはじめとした九州在住の同胞たちが応援に駆けつけてくれたことだった。知らない地域で、知らない同胞たちが家族のように応援してくれる。そのつながりに直に触れることによって、自分たちへ向けられた期待への責任感が芽生える。「同胞たちに力を」と言っているが、自分たちも同胞から力をもらっているし、試合に勝ち進めばまた同胞たちに勇気を与えられるという相乗効果を経験させたい。この思いから、2月の近畿大会出場の際、ホテルではなく京都朝鮮初級学校に宿泊させていただいた。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言や休校措置が明け、7月ごろから全体での練習に取り組んだ。近畿大会までの「いいイメージ」の残像とは裏腹に、それまでのアドバンテージはリセットされ、苦しい時期もあったが、チームで困難を乗り越え、「花園」へ駒を進めた。無観客で行われた大会だったが、朝鮮新報の密着取材への反響や、各地同胞たちからの支援、声援が「『花園』に出場して満足ではなく、目標はあくまでも全国優勝」という責任感をより一層強くしてくれた。
1月3日の流経大柏戦に挑む前、同胞たちからの応援ムービーを見た。みなこみ上げるものがあり、目頭を熱くしていた。そのような応援や期待が、ギリギリでトライラインを守る選手たちの背中を押したと思う。
1月5日に迎えた準決勝で桐蔭学園に敗れ、全国3位の成績で3年生が引退した。後からSNSを通して知ったのですが、今まで練習に明け暮れてきたかれらは、引退してやっと休日が与えられたにも関わらず、「後輩たちが大阪朝高でラグビーをするように」と、引退後も大阪府の朝鮮学校で小学生を対象に行われるラグビースクールに自主的に赴くなど、その「使命」を全うしていた。
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権監督は、「新聞やメディアに載った生徒たちのコメントを見ても、その後の活動を見ても、大阪朝高ラグビー部としての使命、自分たちが1年間掲げた“使命”を本気で追い求めて、全国優勝を目指してきたということを感じ、誇りに思う」と振り返った。
「毎年、史上最強をめざす」/朝大・呉衡基監督
続いて、朝鮮大学校の呉衡基監督が、関東リーグの2部で闘うに至るまでの歩みを振り返った。
呉監督は、朝大卒業後、大阪朝高で1年間教鞭をとっていたが、ラグビーの指導には携わっていなかったという。そんな時、「在日ラグビーの父」と言われている朝鮮大学校の全源治名誉監督が逝去し、同時期に、同校で前監督を務めていた李鐘基さんが退任するという知らせを聞いた。「朝大ラグビー部を、守りたい」という思い、また、自身が学生時代に2部から3部に降格し、最後まで2部への再昇格を遂げることができなかったという悔いもあり、監督後任という重責を引き受けた。
しかし、指導経験もコーチングの知識もない状態での監督就任当初(2014年度)は、関東リーグ3部5位という散々な結果だった。呉さんは、まず「監督が未熟」という状況を脱するため大学院へ進学し、朝大ラグビー部が「少なくとも4年後には2部に再昇格できる」よう、4年計画を立てていったそうだ。
計画より早く、翌15年度には2部昇格を果たした。しかし、「1部昇格を胸を張って目標に掲げるほどの実力ではないということは、学生たちもわかっていた」。
呉さんは、毎年学生たちで目標を立てるようにしてたものの、2部昇格を果たしてからの5年間、「1部昇格」という目標は、学生たちから出てこなかった。「それよりも、『1部に上がるチームは、どんなチームなのか』を追求し、『強いチームの文化づくり』を目標に掲げ、『毎年、史上最強チームを更新していく』ことを使命としてきました」(呉さん)
16年度は「学年の境目なく意見を言える文化」、17年度は「実際の戦い方の追求」、18年度は「みながリーダーであり主役」、19年度は呉さんが目標としてきた「全学年が3部を知らない時代」となり、学生たちもおのずとラグビーに集中し、10年ぶりに2部リーグで2勝を果たすことができた。20年度は、「コロナ禍でどの大学も条件は同じ」だったが、朝大ラグビー部が日本の大学に比べ人数が少ないことなど、不安も大きかった。しかし、呉さんの心配をよそに、学生たちは2人のダブルキャプテンを中心に自分たちで工夫し、「自立していく文化」を創り上げていったそうだ。
呉さんは、各地の朝鮮高校から朝大ラグビー部への進学人数が減っているのは、「朝大が、全国レベルで活躍してきた学生たちの受け皿になりきれていないことが原因なのではないか」と率直に語った。「朝大が強くなるためには選手が必要。同時に、選手を集めるためには朝大が強くなければいけない。1部に上がるため、一段ずつレベルを上げているが、『朝高ラグビー部に憧れられるチーム』を早く作らなくてはという焦りもある。なるべく早く、選手たち自らが1部昇格を目標に掲げられるよう育てていくことが、自分の使命だと思っています」(呉さん)
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両監督のトークの後、司会の宋さんや視聴者から質問が飛びかい、イベントは「延長戦」に入るほど盛り上がった。
また、イベントの最後には、大阪朝高、朝大ラグビー部の卒業生であり、現在トップリーグのクボタスピアーズで活躍する金秀隆選手がサプライズゲストとして登場し、朝鮮学校ラグビー部たちへの激励メッセージを送った。
(文・朴明蘭)