【特集】明日へつなげる ―3.11の記憶
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東日本大震災から10年。
2011年3月11日の東日本大震災は多くの命を奪い、人びとの暮らしを一変させた。宮城、福島、岩手、茨城の4県で多数の犠牲者、家屋全壊44軒、半壊43軒、店舗・事業所の全壊62軒、半壊87軒、福島第一原子力発電所の爆発事故による避難指示、屋内退避区域の被害24軒、東北朝鮮初中級学校本校舎全壊など在日同胞の被害も甚大だった(総聯中央の集計、2011年10月末現在)。未曽有の大災害の記憶と経験を未来につなげるため、震災から10年を迎える被災地域の同胞社会を訪ねた。
あの日から―。私たちが歩んできた10年
東日本大震災を経験した一人ひとりにそれぞれの「3.11」がある。
宮城、福島、岩手の3県を訪ねて、被災した同胞たちの10年の歩みに耳を傾けた。
「モノより人とのつながり」、人生観変えた経験/宮城
「着の身着のまま逃げたから助かった」。気仙沼市在住の安秉彦さん(63)は、迫りくる津波から逃れ、九死に一生を得た経験を振り返った。当時、同胞のパチンコ店に勤務していた安さんは、遅い昼食をとるため自宅にいったん戻る車中で地震に遭遇した。津波警報を聞くと、すぐさま自宅にいた妻と息子を拾って高台へ避難。そこから見えたのは、住み慣れた自宅が街ごと濁流にのみこまれていく光景だった。…
“生きててよかった”―津波の痛みを乗り越え/岩手
岩手県釜石市で焼肉店「牛牛」を2店舗経営する咸民さん(67)を訪ねた。地震後、咸さんが町へ出ると、町には異様な空気が漂い、数分後に襲った津波により、自宅と本店を失った。「知り合いや友人があっという間に流され、津波が引いた後は、あちこちのビルから遺体が運ばれて。つらかったね」。
地震直後は電気が通らず、冷蔵庫も使えなかった。咸さんは、店の肉が傷む前に、七輪と炭を担いでお寺へ出向き、炊き出しを行った。…
原発災害のなかで、切り開いたくらし 〝同胞たちと集まりたい〟/福島
「震災時に一番怖いのは、噂や情報が錯綜すること」。そう語るのは、福島県いわき市で焼肉店「龍美」を営む韓孝彦さん(64)。原発から直線距離60㎞の位置に暮らす韓さんは、福島第一原発で水素爆発が起きた1週間後に避難するも、避難先の方が放射線量が高かったことを後から知った。「3月の地震は揺れが長かった。4月にも大きな地震が来たが、その時は地面が一度持ち上がり、ドーン! と落ちた。…
被災地のウリハッキョはいま
東北地方にある2つの朝鮮学校・東北朝鮮初中級学校(宮城県仙台市)と福島朝鮮初中級学校(郡山市)は東日本大震災から10年が経とうとする今、どうなっているのか。1月下旬、両校を訪ねた。
子どもたちに 語り継ぐ3.11/東北朝鮮初中級学校
仙台市街を見下ろす太白区の八木山に建つ東北朝鮮初中級学校は昨年、創立55周年を迎えた。2020~21年度は17人の児童・生徒たちが学んでいる。
記者にとっては2012年以来、9年ぶりの再訪。八木山のふもとにできた地下鉄駅のおかげで、山道を登る学校までの道のりが心なしか短く感じた。
校門近くの事務棟の窓には「<東日本大震災>同胞救援宮城緊急対策本部」の名称が当時のまま掲げられていた。事務棟の右前方に残るコンクリートの土台が、かつてこの場所に校舎があったことを知らせてくれる。震災当時から現在まで在職している教員は玄唯哲校長(48)を含めて4人。震災時のことも含め、この10年について話を聞いた。…
3人の教師、教壇に立つ思い/福島朝鮮初中級学校
福島朝鮮初中級学校(郡山市)の教師は現在3人。教師を務める尹永銖さん(27)と李純香さん(26)は、同校卒業生だ。年ごとに生徒が減っていくなか、「一人でも生徒がいるなら」とかれらは教壇に立ち続けてきた。現在、中1と初6の2人の生徒とともに学校生活を送っている。
2016年に赴任し、現在中1のクラスを受け持つ尹永銖さんは、「兄弟なので、活動をする際にも競争をすることがなく、指導に限界を感じることも多い。専門外の授業もあるので、子どもたちの知識としてしっかり身についているのか―という不安もある。赴任当初は児童・生徒が8人いたが、転校を防ぎきれなかったことに悔しさも感じます」と思いを語る。
支援する人々
東北地方の朝鮮学校の子どもたちを支援しつづける日本の市民たちがいる。震災前、震災後…
出会ったきっかけこそ違うが、つながりをしっかりと温めている人たち。その声を集めた。
〝街の学校〟―応援の輪/日本市民ら、ラジオ番組、支援の会
東日本大震災が起きた2ヵ月後、自分自身の生活も一段落して、朝鮮学校の校舎を見て、被害をこの目で確認しました。あとでわかったことですが、東北朝鮮初中級学校には日本各地の同胞たちから支援物資が届いて、それを自分たちだけで食べず、周りの人たちに配っていて感激しました」と語るのは、宮城県美里町に暮らす元英語教員の工藤章人さん(73)だ。工藤さんは、18年4月に有志たちとともに「東北朝鮮初中級学校の教育活動を支援する宮城県民の会」(支援する会)を立ちあげ、代表を務めている。…
みんなが待ってるよ!/福島朝鮮学校保養キャンプin宝塚
田中ひろみ ●「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」
兵庫県宝塚市にある大林寺では2012年から、東日本大震災で被災した福島県に暮らす子どもたちのための保養キャンプが始まりました。しかし、福島には朝鮮学校もあります。日本の子どもだけでなく、朝鮮学校の子どもたちにも目いっぱいキャンプを楽しんで心と体を癒してほしい…。そんな思いから、私たち「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」は働きかけをはじめました。…
悩みながら進む
東北地方に住む若い世代は、震災から10年を迎える今、何を思うのか。宮城と福島で20代、30代、40代同胞たちの胸の内を聞いた。
東北の20~40代同胞を訪ねて
1月下旬の某日、仙台市内に住む20~30代の若者6人が東北朝鮮初中級学校(太白区)に集まった。この日は、在日本朝鮮青年同盟宮城県本部が朝青東北地方委員会の活動の一環として行っている動画配信サービスのための撮影を行うとのこと。朝青東北地方委員会とは、東北地方の5県(宮城、青森、岩手、秋田、山形)の朝青世代の若者による県の垣根を超えた広域活動だ。動画制作編集部のメンバーは韓昇弼さん(29)、趙顕賛さん(26)、金璃玉さん(25)、鄭潤賢さん(22)、そして朝青県本部の専従活動家である呉龍雨さん(30、委員長)と裵将一さん(26、組織部長)の6人。メンバー全員が集まった。…
以上は特集からの抜粋になります。全文ご覧になるには本誌をご覧ください。
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