vol.42 「誠心の交わり」、この場で― 開きつづけた、決意の歩み
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出自は消し去るものとされ、朝鮮語も文化も教えられず、ルーツに根差したコミュニティーもなかった私にとって、「朝鮮学校」は敷居の高い存在だった。学校行事などで「ウリマル」で挨拶するハッセン(学生)たちの「正しさ」が、何もない自分の心に突き刺さったりもした。
そんな「強張り」をほぐしてくれたのが、京都朝鮮学校襲撃事件の取材に端を発する保護者や教員らとの出会いの数々だった。滋賀朝鮮初級学校の鄭想根校長(1958年生)との出会いもその一つである。
滋賀・高島市生まれの二世。中学校まで日本の学校に通ったが、「本物の朝鮮人になりたい」と京都朝鮮中高級学校に進学した。「落ちこぼれでした」と振り返る。編入ゆえの苦労は種々あったようだ。朝鮮大学校(東京都小平市)への進学は「再挑戦」だった。
教師になる気はなかったが、言われるままに参加した教育実習での経験が人生を変える。女性教員に連れられ家庭訪問に出た。行き先は母子家庭の家、仕事で母親はいない。道すがら野菜と肉を買った彼女は台所に立つと、黙々とカレーを作り、夕食を終えると片付けをして鄭さんに言った。「はい、帰るよ」。呆気にとられた。「理屈以前に、あんな人になりたいと思った」(…続きは月刊イオ6月号に掲載)。
写真:中山和弘
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。