最高裁に署名2万9029筆提出 広島無償化裁判原告ら
広告
2013年1月の大阪、愛知での提訴を皮切りに日本全国5ヵ所で朝鮮学校の高校無償化制度からの除外の違法性を問うた訴訟(高校無償化裁判)のうち、現在まで唯一、最高裁判断が出ていない広島の原告である広島朝鮮初中高級学校の李昌興校長と元生徒らが6月21日、最高裁判所に「広島・朝鮮学校無償化不指定処分取消等請求事件」の「公平公正」な裁判を求める署名2万9029筆を提出した。
署名は広島無償化裁判を支援する会、日朝友好広島県民の会、民族教育の未来を考える・ネットワーク広島、朝鮮学校無償化実現・福岡連絡協議会の4団体が呼びかけ、取りまとめたもの。
この日、李昌興校長、原告の元生徒4人、広島朝鮮初中高級学校出身で、現在朝鮮大学校に通う学生2人が東京都・千代田区の最高裁を訪れた。東京無償化裁判弁護団で活動した李春熙弁護士が同行した。「朝鮮学校『無償化』排除に反対する連絡会」の長谷川和男、田中宏両共同代表らも応援にかけつけた。
署名提出の席上、李校長は「公正公平」な判決を求める要請書を読み上げた。李校長は、「高校無償化法は教育の機会均等を目指した法律であり、朝鮮高級学校も対象として制度設計がなされていることは明らかである」「無償化法制定時の審議において、外交的政治的な理由は考慮しないとされていたにもかかわらず、朝鮮民主主義人民共和国との間での拉致問題の解決が進展していないことなどを理由として不指定処分としたことは高校無償化法の趣旨目的に反している」「文科大臣の裁量権を逸脱濫用していると言わざるを得ない」などと指摘。「高校無償化法の趣旨からすれば、朝鮮高級学校を対象にすることは当然であり、日本政府が無償化の対象から朝鮮学校を除外したことは違法」だとのべた。そのうえで李校長は最高裁に対して、高校無償化法の趣旨・理念に沿って審議し、朝鮮学校に通う子どもたちの「学ぶ権利」がほかの日本在住の高校生、外国人学校の生徒と平等に保障されるよう、「公正公平」な判断を下すことを求めた。
「学ぶ権利が政治・外交的理由で保障されていないことに対して怒りを覚える。最高裁は公平な判断をしてほしい」「今回、3万人近い人びとが署名に協力してくれた。その1筆1筆に込められた思いをくみとってほしい」「提訴から8年が経った今でも、後輩たちが私たちと同じようなたたかいを続けていることに対して心が痛む」
原告、朝大生らも一人ずつ発言し、自らの思いを訴えた。
署名提出後、李校長は記者の質問にこたえ、「今回、短い間に2万9000筆を超える署名が集まった。最高裁の判断を日本国内のみならず北南朝鮮や世界も注視している。司法には人権の砦としての役割を果たしてほしい」とのべた。
支援団体代表ら記者会見
一方、最高裁への署名提出と同時刻、広島でも今回の署名を呼びかけ、取りまとめた4団体の代表らが出席しての記者会見が行われた(写真)。
会見では、4団体の代表らが高校無償化からの朝鮮学校除外の経緯についてあらためて説明するとともに、裁判における国側の主張や裁判所の判決の問題点なども指摘した。会見に出席した「民族教育の未来を考える・ネットワーク広島」の村上敏代表は、「高校無償化はすべての高校生を対象とするという趣旨だったが、朝鮮学校のみが除外され続け、ついにはハ規定が削除され朝鮮学校は申請すらできなくなってしまった。こんなひどいことはない」と朝鮮学校を除外した国側の対応をあらためて批判。「最高裁は3万筆近い署名に込められた思いを無視せず、法にのっとって判断してほしい」とのべた。
△愛知
朝鮮学校、「協働」の支援活動を
「ととりの会」総会
「『民族教育の未来をともにつくるネットワーク愛知 ととりの会(以下、「ととりの会」)』2021年度総会&講演会」が6月9日、愛知県内で行われ、本会場とオンラインを含め95人が参加した。
総会ではまず、「ととりの会」の三浦綾希子事務局長が2020年度の活動報告を行い、裵明玉弁護士が愛知無償化裁判弁護団の活動報告を行った。裴弁護士は、愛知県下の朝鮮学校には長年にわたり自治体からの補助金を適切に管理してきた実績があり、その教育水準を名古屋地裁も認めているにも関わらず、朝鮮や総聯との関係、社会に蔓延している偏見に基づき「朝鮮学校には無償化の権利をもらえる地位がもともとなかった」という旨の「三行半判決」を下したことについて、裁判そのものが「明確な憲法違反」だと話した。裵弁護士は、民族教育権が日本国憲法や国際人権法上の法的権利であることを立証してきた8年間の裁判闘争を振り返り、「今後もこの声をさらに練りあげ、社会に届けるために活動していきたい」とのべた。
続いて、「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋」(以下、「こっぽんおり」)の東京支部長を務める朴錦淑さんが基調講演を行った。朴さんはまず、2009年12月の京都朝鮮第1初級学校襲撃事件から同事件の裁判終結(14年12月)直後までを「共同期」、裁判以降を「協働期」とし、京都府下の市民団体との関係構築、朝鮮学校を支える運動の歩みを振り返った。
朴さんは、京都朝鮮第3初級学校(当時)の保護者となった03年以降、日本の公立小学校や大学生との交流などさまざまな形で支援者や日本市民と接していくなかで、「朝鮮学校と朝鮮学校を支える人たちとの関係性のあり方について潜在的に考えるようになった」という。京都第1襲撃事件の民事裁判後、子どもたちの心のケア、被害回復の問題を最優先で解決するため、保健室の開設と特別支援教室を開始。その際、「こっぽんおり」は「保健室の運営は本来であれば国や自治体の補助を受けて然るべきことであり、朝鮮学校に高校無償化が適用されていないことと背景は同じ」という認識のもとで取り組んだという。そして、「『こっぽんおり』とは、朝鮮学校の自立性と教育内容を侵さないという立場がはっきりしているからこそ、確固たる信頼関係が生まれ、協働へとつながった」と語った。