【寄稿】1勝14敗/高校無償化訴訟・最高裁の最終決定が「TOKYO2020」の真只中だった意味(田中宏)
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高校無償化制度が発足して11年、朝鮮学校排除の違法性を争う5つの提訴から8年、去る2021年7月27日、最高裁第3小法廷は広島訴訟について上告棄却の決定を下した。5つの無償化訴訟の15番目の司法判断で最後である。勝ち負けでいえば、1勝14敗という結果となる。ここに私の所感を綴っておきたい。
1.
高校無償化法は、その対象を、1条校に限らず専修学校、外国人学校を対象とする画期的なものだった。日本では、「すべて国民は、…ひとしく教育を受ける権利を有する」(憲法26条)とあるが、日本が加入する社会権国際規約は、「締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める」(13条)とあり、それに符合する制度といえよう。
外国人学校は、(イ)大使館等で確認できるもの、(ロ)国際的評価機関が認定したもの、(ハ)その他文科大臣が「高等学校の課程に類する課程」と指定するもの、に3分類され、朝鮮高校は(ハ)に該当するとされた。(ハ)については、文科大臣に申請し、「ハの規定に基づく指定に関する規程」による審査を経て、指定される制度である。
2.
2012年12月成立の安倍晋三内閣は、初仕事として朝鮮高校除外を断行。12月28日、下村博文文科大臣は、会見で「拉致問題に進展がないこと、朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政にその影響が及んでいること」をあげ、審査の根拠となる「同法施行規則(ハ)の削除」を表明した。
そして、翌13年2月20日、「(ハ)を削除したこと」及び「規程13条に適合すると認めるに至らなかったこと」を理由として、朝鮮高校10校に「不指定」を通知した。大阪、名古屋、広島、福岡、東京で、国家賠償・処分取消しを求める訴訟を当該の生徒・学園が提起した。問題の核心は、政治外交的見地から、朝鮮高校生の学ぶ権利を侵害することが許されるかである。
3.
文科大臣の処分通知には、「①(ハ)の削除」、「②規程13条適合性」と2つの理由が掲げられたが、当初の大臣会見にあったのは「①(ハ)の削除」であり、それが朝鮮学校除外の本命である。何故なら、(ハ)の削除により、それを根拠とする「規程」も失効するからである。
しかし、(ハ)の削除は、高校無償化法が目指す高校段階の教育の機会均等を広く保障するという同法の目的に真っ向から反することになる。この点を、日本の司法が糾せるかどうかが問われたのである。2017年7月、大阪地裁は、「教育の機会均等とは無関係な…政治的、外交的意見に基づき、朝鮮高級学校を支給法の対象から除外するため(ハ)を削除したもので、委任の趣旨を逸脱するものとして違法、無効と解すべき…」として、原告勝訴とした。きわめて明快な判断というほかない。
4.
然るに、原告敗訴の判決に共通するのは、「(ハ)の削除」について判断しない点である。
例えば、2020年10月16日の広島高裁判決は、「この点については判断を要しない(85頁)」、10月30日の福岡高裁判決は「判断する必要がない(60頁)」とした。
そして、「規程13条適合性」に関しては、「学校運営に…疑いが生じる状況」(広島、74頁)、「就学支援金が…債権の弁済へ確実に充当されることについて、十分な確証を得ることができない」(同78頁)、「設置者によって(就学支援金が)他に流用されるおそれ」(福岡、49頁)、「朝鮮総連から「不当な支配」を受けているとの合理的な疑念を抱かせる」(同55頁)など、「疑い」「おそれ」「疑念」「確証がない」を羅列することによって、大臣の「不指定」は裁量の範囲内で、逸脱、濫用はないとの結論に持っていくのである。
ところで、朝鮮高校は、「規程」に基づいて申請し、審査を受けている途中で、その根拠となる(ハ)を削除する手法は、まさに「後出しジャンケン」なる暴挙である。このように見てくると、大阪地裁における原告勝訴以外は、どう見ても司法審査を放棄した、政権への「忖度判決」というほかない。
5.
無償化からの朝鮮高校除外を表明した下村文科大臣は、会見冒頭で「拉致問題に進展がない…」を掲げた。2002年9月、小泉純一郎首相が訪朝し、金正日国防委員長との間で『日朝平壌宣言』に署名。金委員長は「拉致」を認め謝罪したが、「宣言」の本来の意味は脇に押しやられ、専ら「拉致」問題に収斂され「朝鮮バッシング」が吹き荒れる状況になる。
法務省人権擁護局でさえ、「日朝首脳会談で拉致事件問題が伝えられたことなどを契機として、朝鮮学校や在日朝鮮人などへのいやがらせ、脅迫、暴行等の事案の発生が報じられていますが、これは人権擁護上見過ごせない行為です」との啓発チラシを配布したほどである。
しかし、店頭に『マンガ嫌韓流』が平積みされ、2009年、遂にレイシストたちが京都朝鮮学校を襲撃するに至る。流行語大賞にヘイトスピーチがノミネートされた2013年に、高校無償化から朝鮮高校除外が敢行された。自治体による外国人学校への補助金が、朝鮮学校のみ不支給とするところも現れてきた。「私的な」ヘイトスピーチと「公的な」朝鮮学校差別が、「同時進行」している現実に、日本の司法は何も発信せず傍観してきたことになる。
6.
日本の高校無償化訴訟の結果は1勝14敗であるが、国際人権の世界では、まったく異なった認識となった。朝鮮学校除外の問題は、早速、2013年4月の国連・社会権規約委員会で取り上げられた。
委員の「朝鮮学校への差別的な待遇は撤回されるべきである」との指摘に、日本政府は「拉致問題に進展がないことから、指定の根拠となる規定を削除し不指定処分にした」と答弁。
委員「日本人を拉致したことは恐ろしい犯罪ですが、それと朝鮮学校に通っている子どもたちとは何の関係もない、…彼らを排除する理由にはならない、子どもたちが学校で教育を受ける権利を奪ってしまうことになるんです」と。同委員会の「総括所見」では、「(パラ27)朝鮮学校が除外されており、そのことが差別を構成している。…締約国に対して、高等学校等就学支援金制度は、朝鮮学校に通学する生徒にも適用されるよう要求する」とされた。
2014年8月の人種差別撤廃委員会で、日本政府は、さすがに「拉致問題」への言及は避けたが、委員会の「総括所見」では、やはり「(パラ19)締約国が、朝鮮学校に対して就学支援金制度による利益が適切に享受されることを認め、地方自治体に朝鮮学校に対する補助金の提供の再開あるいは維持を要請すること、…1960年のユネスコの教育差別防止条約への加入を検討するよう勧告する」とされた。
日本は、一般的に教育における差別解消に努める必要があるとされたのである。因みに、2015年現在、同条約には101ヶ国が加入していた。4年後、2018年8月の人種差別撤廃委員会の「総括所見」では、「(パラ22)前回の勧告(CERD/C/JPN/CO/7-9、para.19)を再度表明する」と念を押された。要するに、朝鮮学校除外は、「教育を受ける権利」の問題、他の学校との「差別」の問題とされたのである。しかし、日本政府は国際人権機関のたびかさなる指摘に、全く耳を貸そうとせず、今日に至っている。
7.
高校無償化訴訟における最高裁の最後の決定が出た7月27日は、「TOKYO2020」の真っ只中である。東京五輪は、今年に入ってからでも、同組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言で辞任、開会式の演出統括の佐々木宏氏が出演者の容姿を侮辱する発言で辞任、開会式の音楽担当の小山田圭吾氏が過去のいじめを理由に辞任、と続き、開会式前日には、ホロコーストを題材としたコントを発表していた開閉会式のショーディレクター小林賢太郎氏を組織委が解任したのである。これらに通底するものは、「差別、人権」にかかわることである。
差別・人権の問題は、昨年からのBLM(Black lives matter)運動に象徴されるように、世界共通の課題である。「TOKYO2020」でも、差別に抗議する意思を示すために選手が立膝をする光景がいくつも見られた。日本の人権意識の低さ、歴史認識の世界標準とのズレが、みごとに露呈したのが「TOKYO2020」であり、その只中に、高校無償化訴訟が1勝14敗で幕を閉じたことは偶然ではないと世界は見ているだろう。
8.
国際人権の世界では、自国内で敗訴が確定しても、個人通報制度によって国連に通報し、専門家委員会による審査を求めることができる。しかし、日本政府は、各条約に設けられる個人通報制度を受諾する措置を一つも取っていないため、朝鮮学校除外について、国連人権機関の審査を求める道は閉ざされている。
因みに、自由権国際規約についてはすでに116ヶ国が、女子差別撤廃条約については114ヶ国が、それぞれ個人通報制度を受諾している(2020年現在)。個人通報制度を持つ人権条約は9つあるが、日本はそのうち6条約について、専門家委員を送り込んでいる。従って、他国の個人通報案件の審査には係るが、日本が審査されることは全くないのである。
国連は、人権救済や人権啓発のために、政府から独立した「国内人権機関」の設置を各国に求めており、日本もたびたび勧告されるが、一向に設置される気配はない。因みに、韓国は、国内人権機関として、政府から独立した「国家人権委員会」がすでに設置されており、個人通報制度についても、自由権国際規約、女子差別撤廃条約、人種差別撤廃条約、拷問禁止条約の4条約について受諾している。
9.
高校無償化からの朝鮮学校除外をめぐっては、奇妙なことも見られる。前述の2014年8月の国連・人種差別撤廃委員会で、日本政府は「朝鮮学校は、朝鮮民主主義人民共和国と結びつくある組織と密接な関係にあり、教育内容、学校運営、財政にその影響が及んでおり、指定の基準を満たしていないため不指定とした。もし、その学校運営が法の定める基準を満たせば、これらの学校は就学支援金を受給できる」と答弁した(国連の英文議事概要より翻訳)。
ところが、柴山昌彦文科大臣は、参議院文教科学委員会において、議員の「法令に基づく適正な学校運営が行われているという確証が得られれば指定されるということか」との質問に対して、「(審査の)根拠規定そのものが廃止されていることから、法令に基づく適正な学校運営に関する確証の有無にかかわらず、(朝鮮学校が)指定されることはありません」と答弁している(2019年3月19日)。国連での答弁が虚偽であり、柴山大臣の答弁が正しいというほかない。
朝鮮学校に通う幼い子どもが、ふと漏らした「朝鮮人って、日本にいちゃいけないの」、「朝鮮学校って、行っちゃいけないの」との言葉に、日本社会はどう応答するかが問われている。
高校無償化訴訟の1勝14敗という終結、そして「TOKYO2020」が露呈した現実、そこに通底する「差別・人権」の問題に、日本社会はこれからどう向き合い、どう取り組むべきかを自らに問う秋に、私たちは出会っているのではなかろうか。(一橋大学名誉教授/2021年8月3日記)