【特集】우리 말―掴む、話す、考える
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우리 말―直訳すれば、“私たちの言葉”。在日同胞にとっての朝鮮語は、母国語でありながら、時にはつかみ切れない存在です。なぜなら、日本の植民地によって母国と引き離され、日本語を主とする限られた言語環境の中で継承されてきたものだから。
日本にいながらどうして우리 말を学ぶのか。朝鮮半島が分断されている中で私たちは우리 말をどのように捉えたらいいのか…。本特集が、우리 말について改めて考えるきっかけになれば幸いです。
インタビュー 私たちと우리 말
●李汕玉(朝鮮大学校教員)
り・さのく●1967年5月、東京都生まれ。東京朝鮮第3初級学校、東京朝鮮中高級学校、朝鮮大学校文学部(当時)で学ぶ。卒業後2年間、研究員として平壌にある国立演劇団で朝鮮語話術を学び、現在まで同大教員。在日朝鮮学生中央口演大会審査委員長も務める。
―私たちにとって、ウリマルとはどんなものでしょうか?
まず私にとってのウリマルは、何よりも祖国の人々と、情と考え、志を、思う存分に分かち合う最高のコミュニケーション手段。青春時代、ピョンヤンで〝生きたウリマル〟の習得に励んだ体験をイオで連載したことがありますが、ウリマルについて考えると祖国の恋しい人々の顔と思い出が浮かぶほど、私にとってウリマルは、祖国そのものかもしれません。
私たち在日同胞にとってウリマルとは「自分が何者かという証明」、それを象徴する最も大切なものだと私は思います。
朝鮮人として生きたいのであれば、朝鮮語の習得は必修です。ただ考えなければならないのは、「どんな朝鮮人」を目指すのか。この問いが、どういうウリマルを身に着けたいのか、どこまで追求するべきかという目標に落ちていくと思います。…
ウリマルとは、私とは―
問いつづけた1世、2世の記憶
●呉永鎬(鳥取大学教員)
「失われた私の朝鮮を求めて」
当たり前に存在したものや、できたことが、そうでなくなった時、その当たり前の大切さに気づく。多くの人が経験のあることだろう。日本による植民地支配によって、多くの「当たり前」を奪われた朝鮮人もまた、その生の基盤たる朝鮮語の大切さを痛感したに違いない。
1932年、山口県下関市で生まれた在日二世の作家・高史明は、「失われた私の朝鮮を求めて」と題した小論で、幼少期について語っている(『言語生活』第239号、1971年)。三歳の時に母を亡くし、三つ上の兄と、石炭仲士として生計を立てていた父と暮らしていた。父は日本語を決して使おうとせず、「물(水)」や「집(家)」のように「生きていくのに最低限必要なことば」しか用いなかったため、史明の中に「朝鮮語の種が植えつけられ」ることはなかった。
父は怒気をはらませながら朝鮮語の使用を求めたが、史明は물という言葉は知っていても、「水が呑みたい」と朝鮮語で言うことはできない。だから「あくまで물という朝鮮語をつかうようにせまられると、〈물が呑みたい〉とチャンポンにつかってしまうので」あった。父が夜中に天井から首を吊って自殺を図った時も、父の死を食い止める子らは生きる希望を日本語で叫び、父は生きる絶望を朝鮮語で訴えた。…
私とウリマル
➀日本で学ぶ、だからこそ/鄭聖華(ハングル能力検定協会 理事長)
ハングル(한글)能力検定協会は、1992年に韓国・朝鮮語では世界初の検定試験運営団体として発足しました。当時、私は高校生で、祖母に「キムチを食べてバスに乗ったら、日本人が嫌がるよ」と言われた時代。今ではデパ地下にキムチが並び、街中にハングルを見かけるようになりました。時代の変化を感じます。
➁のめり込み、学び直せた/金秀煥(45、総聯京都府南山城支部委員長)
勉強嫌いだった私にとって、ウリマルは大変苦手なものでした。朝鮮大学校に進み、勉強の楽しさを知りましたが、国語(朝鮮語)の成績は惨憺たるもので、特に말하기の授業では孟福実先生に最後まで居残りさせられたものです。
そんな私がウリマルにのめり込むきっかけとなったのが、在日本朝鮮青年同盟(朝青)の京都府本部専従として活動を始めた当初から取り組んだ青年学校でした。
➂引き裂かれ、支えられ―/李るい(25、在日本朝鮮青年同盟千葉県本部日校対策部副部長)
朝鮮と日本のダブルルーツを持ち、日本名を与えられ、日本人社会の中で育ってきた私にとって、同胞社会と関わるきっかけをくれたのは在日本朝鮮留学生同盟との出会いだった。ウリマルが当たり前に飛び交う場は衝撃的で、日本人として生きてきた私は当初、戸惑いや居心地の悪さしか感じなかった。
➃“在日語”を足場に/林朱遠(会社員)
韓国から主にノベルティアイテムを仕入れ、日本の企業向けに販売する仕事を8年ほど続けています。韓国側の担当者とはもちろんウリマルで話しますが、最初はネイティブが発する言葉の速さに慣れるのが大変でした。また、現地のビジネス用語のほか、印刷に関する専門用語も分からなかったため、聞いて訊ねて…を繰り返しながら身に着けていきました。そういったコミュニケーションの積み重ねにおいて、言葉の土台を朝鮮学校で体系的に身に着けられたことは絶対的に役立っています。
⑤本国に劣らない朝鮮語教育/趙敏恵(27、朝鮮大学校研究院、フランス音楽院在籍)
フランス留学中の、朝鮮や韓国の人びととの出会いは格別です。かれらとは、当然ながらウリマルで話し、メールや手紙のやりとりをしますが、その度に思いがけない褒め言葉をいただくことがしばしば。それは、字の綺麗さと正しさです。
私は、特に字が綺麗な方ではないのですが、韓国や朝鮮の人は、私の字を見るたびに「どこで習ったのか、なぜこんなに字が綺麗なのか」とびっくりされます。
好きです、〝동포말〟
●高昌弘(40、韓国語講師)
「在日同胞が使うウリマル、ぎこちなくて不自然じゃないですか?」
在日歴13年の私が在日同胞のみなさんからよく受ける質問です。運営しているYouTubeチャンネル「イルボンアジェTV」に在日同胞の方々の動画をアップすると、「北韓の言葉みたい」「『ウリマル』とは言わず、北韓語と呼んだほうがいい」といったコメントをつけてくる韓国の同胞も少なくありません。
確かに、ウリハッキョ(朝鮮学校)に通っている私の長女が普段使っている単語の中には、‘위생실(トイレ)’‘필갑(筆箱)’‘소조(クラブ)’‘롱구(バスケットボール)’‘원족(遠足)’のように韓国では使われないものもあります。だから「北の言葉」のように聞こえたりするのかもしれません。
この点については、日本語の影響も非常に大きいと考えています。在日同胞のウリマルを聞くと、在日朝鮮人特有のアクセントやイントネーションを感じることが多々あります。
思い出の고향말
朝鮮半島で生まれ育ち、日本へ渡ってきた在日1世が話す고향말(故郷の言葉、方言)。2世、3世たちに、記憶に残る고향말について語ってもらった。
ウリマルに親しむための3冊
●張泰延(京都朝鮮中高級学校教員)
言葉について改めて考えたり、美しさを味わったり、学ぶ意欲を得られたり…。우리 말に親しむためのおすすめ本を、北・南・日本(在日同胞社会)で出版されたものの中から1冊ずつ選んでもらいました。
『날개가 돋친듯(羽がはえたように)』
許玉汝著/ハンマウム出版/2021年
『단어유래집(単語由来集)』
과학백과사전출판사(科学百科事典出版社)/2019年
『꽃송이 ―우리는 조선학교 학생입니다(コッソンイ 私たちは朝鮮学校の学生です)』
우리학교와 아이들을 지키는 시민모임(ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会)編/시대넘어(シデノモ)/2019年
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