海底に眠る犠牲者に尊厳を/長生炭鉱水没事故80周年犠牲者追悼集会
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長生炭鉱水没事故80周年犠牲者追悼集会が2月12日、山口県宇部市の長生炭鉱追悼ひろばで行われた。集会には李実・総聯山口県本部副委員長をはじめとする同胞と、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の井上洋子、木村道江両共同代表をはじめ日本の有志ら150人が参加。参加者らは海底に眠る犠牲者の冥福を祈り、遺骨の収集を心に誓った。
「朝鮮炭鉱」、183人の犠牲者
長生炭鉱水没事故とは、1942年2月3日に山口県宇部市西岐波にある海底炭鉱の長生炭鉱坑道で落盤が発生、海水が浸水し183人の炭鉱労働者たちが犠牲となった惨事をさす。死者のうち、136人は朝鮮人労働者で、日本政府は事故から80年経った現在も犠牲者遺骨の実態調査及び返還を行っていない。
水没事故で犠牲となった朝鮮人労働者たちは、日本の植民地支配時に朝鮮半島から強制連行されたあるいは、生活苦から日本へ渡航してきた人々だった。
当時、アジア・太平洋戦争に突入した日本では、戦時増産体制の下、石炭の生産・増産拡大が優先され、長生炭鉱も例外ではなかった。1914年に開坑した同炭鉱では、最盛期には年間15万トンの石炭を産出していたという。かつて長生炭鉱は「朝鮮炭鉱」と蔑称されるほど、労働力の大半を朝鮮人労働者に依拠してきた。日本の国策産業の下、当時長生炭鉱は2人の日本人によって共同経営されており、敗戦後、廃業となった。経営者の子孫は現在、炭鉱周辺に暮らしているという。
追悼集会を主催した「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下、「刻む会」)は、多くの朝鮮人が犠牲になった事故の事実を知った日本の有志らによって1991年に結成された。結成以降、毎年追悼集会を開き、93年からは韓国の遺族も集会に招待してきた。13年には、山口県朝鮮人強制連行真相調査団、韓国の遺族会と連携し、長生炭鉱跡から約500m離れた宇部市床波漁港前に追悼碑を建立。ほかにも外務省、厚生労働省をはじめとする関係省庁に対し、遺骨の発掘及び調査を求め、意見交換や要請を行ってきた…。(続きは月刊イオ2022年4月号に掲載)