vol.68 始まりのウリハッキョ編 「きっかけは、バザーしてみない?」/東大阪朝鮮初級学校オモニ会
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東大阪朝鮮初級学校のオモニ会は、日本全国の朝鮮学校の中でも早い時期に立ち上げられたオモニ会として知られている。今回、歴代の会長たちにインタビューし、草創期を中心に会の活動を振り返ってみた。
「みんなでやってみよか」
学校創立50周年に際して発行された記念誌の記述によると、東大阪朝鮮初級学校(以下、東初)のオモニ会は1974年に結成された。当時の校名は東大阪朝鮮第2初級学校。同校オモニ会の2代目会長を務めた金英子さん(82)は会が結成された経緯について次のように証言する。
「学校の授業参観の時にあるオモニが発した、『学校を助けたいと思うなら、私たちも日本の学校みたいにバザーでもしてみない?』という言葉がきっかけになった。『そしたら一回みんなでやってみよか』ということになって、話はとんとん拍子に進んで。学校を助けたいという思いはみんな同じだったから」
このバザーの開催主体として、学校に通う児童の母親たち(オモニ)の集まり=オモニ会が結成されたというのが、当時を知る金さんの回想だ。
バザーは同年11月に開催。「食べ物はホルモンやクッス、おでんとか。お花や履き物も手作りしたな。とにかくいろんなものを作った。若いオモニたちが知恵を絞って一生懸命やってくれたことを覚えている」(金さん)。この時のバザーの利益で通学バスを購入し、学校に寄贈した。バザーはその後も同校オモニ会が主催する恒例の活動として、現在まで続いている。
「あるときケジャンクッ(補身湯、犬肉のスープ)を出したことがあったけど、全然売れなくてね。次の年から二度と作らなかった(笑)」。金さんが語るバザーの思い出の一つだ。
金さんは会長を75~76年まで2年間務めた。草創期は会長という役職名はなく、「オモニ総責任者」と呼ばれていたという。
「これが私の手元に唯一残っているオモニ会の活動写真」。そう言いながら一枚の写真を見せてくれた。金さんが会長だった時期に企画したオモニ会メンバーの朝鮮大学校(東京都小平市)訪問ツアーの写真だ。「当時は、朝大のことをよく知らない、あることは知っているけど行ったことがない人も少なくなくて。今後、自分の子どもたちが進学することになった場合を考えても一度は見ておこうと、50人くらいで観光バスを借りて行った。卒業式間近の時期で、卒業生たちが卒業写真を撮っていた。韓徳銖議長もいらっしゃってね。当時の校長先生もいろいろと協力してくれた。『このおばはん、突飛なことを言い出して』と思っていたかも(笑)」。
金さん自身も東初の前身校の一つである枚岡朝鮮初等学校(46年4月1日開校)に入学したが、49年の学校閉鎖令によって2年までしか通えなかった。4人の子どもたち(2男2女)はみな東初を卒業。長女の趙福禮さん(60)も後に同校オモニ会の会長を務め、親子2代での会長となった。
児童の祖国訪問を企画
金英子さんへのインタビュー取材の数日後、歴代会長4人の話をうかがう機会を得た。8代目の李英子さん(84)、9代目の徐萬春さん(74)、11代目の金義貞さん(77)、12代目の鄭照子さん(81)。学校のすぐ隣にある徐さんの自宅に集まってもらった。
「英子さんが会長をしていた時の児童数は400人近かった。当時の年間売上400万、オモニ会の歴史上最高額だったかも。オモニ会の新聞も出していたんだけど、記事ができあがるまで監視されてね。夜中の12時になっても家に帰してくれない。一番怖い会長だった(笑)」。徐さんが紹介してくれた李さんの業績だ。
徐さんに印象深いオモニ会の活動を聞くと、同校児童たちの祖国訪問を企画したことについて話してくれた。鄭さんが会長、徐さんが副会長だった86年、当時文通をしていた祖国の姉妹校・平壌シンリ人民学校の児童から、前年の在日朝鮮学生美術展で入賞した徐さんの息子・朴秀隆さん(当時初2)に激励のメッセージと「いつか平壌で会おう」という願いを込めた手紙が来た。オモニ会では、祖国の子どもたちとの交流実現のために、女性同盟大阪府本部が企画した祖国短期訪問団に秀隆さんを参加させることに。徐さんは秀隆さんを含めた自分の子ども5人全員を連れて行った。
翌87年には同校の5年生と6年生30人の祖国訪問を企画。引率の教員3人、オモニ会メンバー2人を合わせて35人が祖国を訪問し、姉妹校と交流した。「日本全国どこのオモニ会もやっていないこと。新しいことを発想して、それに周りがついてきてくれたから実現できた」(徐さん)。
李さんは会の活動を振り返って、「ほかのオモニたちとの横のつながりができたことがうれしかった」と語る。鄭さんは、「あのころは子どもをウリハッキョに入れるのがあたりまえ、オモニ会の活動もがんばるのがあたりまえだった」と話す。
オモニ会の結成は、「当時、大阪で女性同盟が『学校を愛する運動』を展開していたことも背景にあるのではないか」というのが徐さんの見方だ。
「全国で最初」の根拠は…
東初オモニ会の伝統は現役メンバーにも受け継がれている。今年4月から会長を務める康順愛さん(49)は自身も東初出身だ。オモニ給食、オモニフェスタなどコロナ禍の中でも地道な活動を続ける。「学校を愛する思いは昔も今も変わらない。変化する状況にどう対応していくか、知恵を絞っている」(康さん)。昨年の学校創立75周年はコロナ禍で大きく祝えなかったので、77周年のタイミングで喜寿イベントを企画できないか構想中だという。
****************** 創立50周年記念誌には、東初オモニ会が「日本全国で最初に結成された」とある。今回の取材でその根拠となる具体的な文書や証言などの裏づけを探したが、現時点で見つけられていない。第25期卒業生で、現在、同校の教務主任を務める林学さん(55)は、「少なくとも、大阪府内の学校の中でもっとも早いのは間違いない」と話している。