その一足が道となる―追悼・アントニオ猪木 北岡 裕 by CHANG.HE · 公開済み 2023年1月21日 · 更新済み 2022年12月21日 広告 1995年4月28、29日に開催された「平和のための平壌国際体育・文化祝典」。米国のリック・フレアーと対戦するアントニオ猪木(提供=朝鮮新報)朝鮮に限らずその国の人を怒らせるのはたやすい。だが喜ばせ笑わせ尊敬されるのは難しい。その記憶に残ることはさらに。 猪木氏は議員生活の晩年、超党派議員団での訪朝を訴えていた。臆病故か。ホラだと思ったのか。それとも政治的事情からか実現しなかった。だが金永南・最高人民会議常任委員会委員長と会談出来る日本人がどれだけいたか。実現したら日朝関係は大きく変わっていたはずだ…。(続きは月刊イオ2023年1月号に掲載) シェアする