【特集】70年目の7・27①私たちと朝鮮戦争
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1953年7月27日。朝鮮戦争(1950―53)の停戦協定が結ばれたこの日を、朝鮮民主主義人民共和国では米国の侵略から祖国を守った「祖国解放戦争の勝利の日」として記念している。 戦勝70年は、一方で停戦70年でもある。平和条約は締結されておらず、戦争は依然として続いている。いまだ終結を見ないこの戦争が朝鮮半島を含めた東アジア地域、とりわけ日本とそこに住む在日朝鮮人にいかなる影響を及ぼし、私たちの生をどのように規定しているのか―。本特集では、日本および在日朝鮮人と朝鮮戦争とのかかわりについて見る。
「祖国防衛闘争」、命がけの支援と献身
在日朝鮮人と朝鮮戦争
呉圭祥 ●在日朝鮮人歴史研究所所長
在日朝鮮人は朝鮮戦争にどのように関わったのか。祖国・朝鮮民主主義人民共和国に対する支援を中心とした活動について、在日朝鮮人歴史研究所の呉圭祥所長に寄稿してもらった。(編集部)
「李承晩一派が引き起こした同族相争の内戦を通じてわれわれが行っている戦争は、祖国統一と独立と自由と民主のための正義の戦争である」(金日成首相のラジオ演説、1950年6月26日)。朝鮮戦争勃発後、この演説を受けて、在日朝鮮人は戦争の勝利のための活動を展開した。
朝鮮戦争期(1950年6月25日~53年7月27日)、在日朝鮮統一民主戦線(民戦)期(1951年1月9日~55年5月24日)の在日同胞と彼らの運動を取り巻く状況は大変複雑であった。当時の活動を見るには、祖国防衛委員会(祖防委、50年6月28日~)や民戦の一部指導層の路線や方法上の根本的な誤りと在日同胞の愛国的活動とは区別して考察するべきと考える。
朝鮮戦争期の在日同胞の愛国的活動の中でも祖国―朝鮮民主主義人民共和国を擁護するための活動は高く評価すべきだろう。全貌はわかっていないが、当時の活動について調査し、整理することは在日同胞の歴史の一端を知るうえで必須である。
その活動とは、当時の表現をそのまま借りれば「祖国防衛闘争」である(当時は生活権、教育権を守ることも「防衛」と表現していた)。戦争勃発以前から在日同胞は米国の南朝鮮占領と李承晩傀儡政権に反対し、祖国の統一独立を願って活動したことをまずは強調したい。たとえば、祖国統一戦取月間(50年5月1~31日)中央実行委員会はその活動の中心目標を武器製造輸送反対であると表明している(「解放新聞」50年5月27日)。
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掃海、戦闘、兵站…17番目の参戦国
日本は朝鮮戦争にどう関わったのか
大沼久夫 ●共愛学園前橋国際大学名誉教授
朝鮮戦争で占領下の日本が特需(特別需要)で景気がよくなったことは知られています。カネヘン(鉄・銅)景気、糸ヘン(繊維・織物)景気と言われました。朝鮮特需は、高度経済成長の足掛かりとなり、吉田茂首相は、戦争は天祐(天の助け)であると発言しました。
日本の戦争協力については長い間、その実態が明らかにされませんでした。戦争当時、米国軍占領下にあり、戦争遂行上、米軍(国連軍)の動向に関する報道は検閲されました。
占領終了後に日本の軍事的協力(掃海隊派遣)、LST(戦車揚陸艦)での兵員・物資等の輸送の実態の一部が、徐々に新聞報道や関連書籍、史料発見で明らかにされてきました。
協力の実態
開戦9日後の1950年7月4日、吉田茂内閣は閣議で「朝鮮における米国の軍事行動には行政措置の範囲で協力する」方針を決定、11日には自由党議員総会でも吉田首相は「国連の行動に積極的に協力する」との所信を述べました。国会では義勇兵参戦問題も民団の義勇兵募集問題とともに議論になり、新聞の投稿欄にも「義勇兵を送れ」という投書が載りました。
国連軍展示会が各地の百貨店で開催され、慰問袋の作成や献血運動で国連軍を支援しました。米国はナパーム弾等の武器生産も日本に許可しました。…
証言 「終わらない戦争」に思う
70年の歳月は、今を生きる私たちに何を問いかけるのか―。2人の同胞たちに語ってもらった。
停戦を平和に、私たちの代で
丁悠瑪さん ●在日韓国青年同盟三重県本部副委員長
私の父と母は韓青(在日韓国青年同盟)の活動をしていた縁で結ばれました。祖国分断、朝鮮戦争、統一…。今の多くの同胞青年たちにとってはなじみの薄いこれらの言葉も、私にとっては、このような生い立ちもあって、比較的身近にありました。…
1世の心、解放したい
金明珠さん ●女性同盟千葉県西部支部委員長
58歳になりますが、在日朝鮮人2世では最後の世代だと思います。父・金鎭 は15歳の時に済州島から渡ってきた1世で、母・高燦玉も1世でした。父方の祖母は映画「海女のリャンさん」(2004年)の主人公になった梁義憲(1916年生)、幼い頃は大阪で一緒に暮らしました。…
統一を語ろう、朝鮮を語ろう
〝分断〟を生きてきた私たちへ
インタビュー/鄭栄桓さん
朝鮮半島の分断を決定付けた朝鮮戦争の停戦から70年。分断と戦争は在日朝鮮人の生にいまだ深い影響を及ぼしている。そして日本政府は法的処遇を通して在日朝鮮人社会に分断を持ち込んできた。その始まりと今後の展望について、『歴史のなかの朝鮮籍』(以文社、2022年)の著書がある、鄭栄桓・明治学院大学教授(43)に聞いた。
亡き1世、2世の思い
―在日朝鮮人の多くは朝鮮半島の南部の出身ですが、祖国解放後は、朝鮮がじきに統一されるとの思いを抱き、生きてきました。長引く分断体制のもと、生き別れた親きょうだいと会えずにこの世を去った1世、2世は数知れません。
父方の祖父は、1921年に慶尚南道固城の生まれで7人きょうだいの次男でした。南にも親類がいましたし、共和国に帰国した姉もいます。祖母も同郷でしたが、解放後には故郷に行ったことはなかったはずです。ハルモニの両親について生前、聞くこともありませんでした。また、高2の時、47歳で亡くなった私のアボジは日本学校に通ったためウリマルを話せず、朝鮮半島にも一度も行ったことがありません。こうした1世や2世は多かった。
なぜハルモニが朝鮮籍にこだわったのか、アボジが「祖国」についてどう思っていたのか、いまでは知ることができません。ただ故郷を訪ねたい、母国で学びたいという願いと、節を曲げ、尊厳を放棄してまで韓国に行くべきなのかという揺らぎと葛藤を抱えていた人も少なくなかったでしょう。統一した後に故郷へ帰るという誓いを胸に「行かない」という生き方をした1世は多かったと思うのです。…
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