【イオニュースPICK UP】“隣人として、あたりまえに” 京都朝鮮中高級学校公開授業に350人
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京都朝鮮中高級学校(趙明浩校長、京都市左京区)創立70周年記念公開授業が6月25日、同校で行われ、350余人の日本市民と同胞が同校を訪れ、京都における民族教育の歴史と同校の現状について理解を深めた。
京都中高は、毎年10月に公開授業を行ってきたが、70周年を迎えた今年は、朝鮮学校をより広く知らせ、教育権の拡充に生かしていこうと、日本の市民団体「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋(こっぽんおり)」と協力し、広く参加を呼びかけた。結果、約200人の日本市民が参加。うち7割は同校を初めて訪れた人たちだった。
中1から高3までの6学年の授業が公開されるなか、ひとつの教室では「こっぽんおり」による「共に歩んだ支援の歴史」と題した展示が開催され、日本市民との交流を掘り下げた報告書、学校生活を活写した歴代の写真が展示された。
高1の日本語の授業。同校教員の辛秀玲さんが、日本を代表する俳人・正岡子規(1867-1902年)の作品に生徒たちをいざなう。
「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」
34歳で夭逝した子規が、結核と闘いながら書いた晩年の俳句だ。
「自分が、あとどれくらい生きられるのかを自分自身に聞いている」「雪の深さは、自分に残された時間のことを重ね合わせているのでは?」―。
授業では、作者の思いを考えてみようとグループ別に話し合い、それぞれの解釈が披露されていた。
寺脇研・元文科省審議官が講演
11時からは、元文部科学省審議官の寺脇研さん(京都芸術大学客員教授)が「朝鮮学校に公的な制度保障を~文科官僚の経験から」と題して1時間の講演を行った。
2003年の大学入学資格問題を前後して朝鮮学校関係者と縁を結ぶようになったという寺脇さんは、「すべての人の学ぶ権利を保障していく方向で外国人学校にも高校無償化制度を適用することになったのに、(朝鮮学校に)レッテルを貼って認めていない。国として決めたことを守らず、情けない。なぜ朝鮮学校だけが取り残されるのかを問うていかなければならない」と権利の保障を訴えた。
また、「今日生徒たちの姿を見て、未来へつなぐこと、そして次の70年が大事だと思った。戦後日本は、二度と他国を侵略しない、世界平和に尽くすと宣言した。ここにいる中高生、また日本の中高生たちも含めた新しい世代が歴史を知ったうえで、新しい世の中を作ってほしい」とエールを送っていた。
自身がライフワークとして取り組んできた生涯教育については、「人が一生をかけて学び続けるということは尊いこと。日本国憲法が保障している個人の尊厳を守るために必要なことだ。学ぶことによって、自分は『よりよい者になり続けている』という思いを持ってもらうことが大切」と力説。今力を入れていることは、子どもたちを貧困から救うための活動だという。
続いて同校生徒たちによる民族楽器、吹奏楽の演奏、歌や朝鮮舞踊が披露され、大きな拍手が送られた。
公開授業には、京都府議会、京都市会の議員たちの姿もあった。
平山よしかず・京都市会副議長(公明党・57)は、「初めて来たが老朽化が進む学校を見て、設備に税金が入らないことを申し訳なく思った。市議会では学校のトイレを洋式化することなどに力を入れている。生徒たちが学校生活を送るにあたって基本的な部分を整えてあげたい。学校が抱える課題解決に向けて、何からできるのかを考えていきたい」と感想を語っていた。
また、「SNS時代、今日のようにお互いが出会い、理解しあえる機会がどんどん失われている気がしてならない。朝鮮半島や中国大陸のいろんな文化を受け入れてきた京都の『奥深さ』を生かせるような教育行政が望まれていると思う」とも。
訪問者には、10、20代が多かった。
日本の大学や専門学校に通う同胞学生たち(留学同京都)が大学の教員や友人に積極的に声がけしたという。
飯田龍成さん(同志社大学2年)は、「日本の学校と意外なほどにそっくりだなというのが率直な感想。違いといえば朝鮮語で授業が行われていること。英語を専攻しているので、朝鮮学校での英語教育を知りたい」と次の交流に期待を膨らませていた。
日本人学生のガイド役を務めていた同校卒業生の朴真心さん(20)は、「集められるだけ集めようと声をかけたら、行きたいと言ってくれる子が多かった。ウリハッキョを知ってもらうことは、私自身を知ってもらうことです」と話していた。
講演の司会を務めた佐藤大・こっぽんおり共同代表は、
「『在日特権を許さない市民の会』が京都朝鮮第1初級学校を襲撃した事件の裁判では勝訴したものの、朝鮮高校が無償化から排除されるなど、制度的な差別は進んでいる。私たちはどんな社会を築き、朝鮮学校を一緒に支えていけるだろうか。多くの市民にこのような営みに参加してもらい、朝鮮学校のことを周りに広げていく、というあたり前のことを実現したい」と参加者に呼びかけていた。(瑛)