【イオニュース PICK UP】関東大震災朝鮮人虐殺100年/群馬で慰霊祭
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関東大震災朝鮮人犠牲者100周年慰霊祭が9月9日、群馬県藤岡市の成道寺で行われた。「関東大震災100年・朝鮮人犠牲者慰霊諸行事実行委員会」(以下、実行委員会)が主催し、総聯中央権利福祉局の任京河局長、総聯群馬県本部の李和雨委員長をはじめ県下の在日同胞、日本市民ら150人が参加した。
県下では、1923年9月5日から6日にかけて藤岡警察署で「保護」されていた朝鮮人17人が集まった自警団をはじめ民衆の手によって虐殺された。これらの事件は「藤岡事件」として語りつがれている。また、4日には九品寺(高崎市倉賀野町)の墓地で1人の朝鮮人青年が自警団らによって虐殺された。
藤岡事件の翌年に追悼碑が建立され、藤岡町が主催し慰霊祭を行ってきたが戦後に中断。57年に破損した追悼碑の再建と共に慰霊祭が復活したが再び途切れ、93年に「日朝友好連帯群馬県民会議」(以下、県民会議)が再開させた。2017年からは「藤岡事件を語り継ぐ市民の会」(以下、「市民の会」)が共催で行ってきた。
虐殺から100年という節目に、県民会議や群馬諸宗教者の集いなどの20以上の賛同団体からなる実行委員会が今年6月に結成され、関連諸行事を企画し8月には映像視聴会を行ったほか、10月には講演と映画上映会を予定している。
慰霊祭では、実行委員会を代表して小野文珖共同代表があいさつした。小野共同代表は「歴史を改ざんしようとする日本政府の悪意に対する防波堤がこの慰霊祭だ。100年を機に改めて皆さんと一緒に差別と偏見のない共生社会を目指していきたい」と訴えた。
続いて、藤岡事件で犠牲となった朝鮮人に向けて成道寺の住職によってお経が上げられ、実行委員長の秋山博さん(「市民の会」事務局長)をはじめ、各界代表たちが焼香を行った。
また、藤岡市の塚本英夫企画部長、実行委員会の角田義一共同代表、総聯群馬県本部の李和雨委員長、犠牲者遺族の権在益さんらが発言した。
李和雨委員長は県内で虐殺された同胞たちへの哀悼の意を表しながら、朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮人強制連行被害者遺家族協会から寄せられた追悼文を読み上げた。
慶尚北道から来た権在益さん(66)は、祖父の南成奎を藤岡事件で亡くした。権さんは藤岡事件犠牲者の名前を読み上げたうえで、日本政府と韓国政府による真相調査の必要性を訴えた。
閉会後に成道寺の境内で曺和仙さんが鎮魂の舞を披露し、李政美さんが慰霊・追悼歌をうたった。最後に、李さんの密陽(ミリャン)アリランの歌声に合わせて境内には朝・日の輪が生まれた。
また、参加者たちは成道寺の墓地にある藤岡事件犠牲者を追悼した「慰霊之碑」を訪ね、手を合わせた。
その後、一行は九品寺に向かい、虐殺された朝鮮人青年を追悼した「地蔵尊像」に香を上げ、追悼の意を表した。また、部落解放同盟群馬県連合会の平井豊委員長が倉賀野町での朝鮮人虐殺事件について説明した。
成道寺での慰霊祭を終えて、これまでも慰霊祭に参加してきたという徐任淑さん(77、女性同盟群馬県本部顧問)は、「県下で同胞が虐殺されたなか、こうして慰霊祭に参加するのは朝鮮人としての義務」だと語り「日本市民が追悼をしてくれるなか、気持ちを共にし、参加することで朝・日親善につながっていくのではないか」と訴えた。そして、群馬県朝鮮女性と連帯する会、群馬県西毛地区日・朝婦人友好親善イップニを通じて朝・日連帯を継続している徐さんは「100年を機に対外的な活動も力強く推進していきたい」と語った。
「藤岡事件を語り継ぐ市民の会」の立ち上げ人の一人の新島都さん(76)は「今日は歌と踊りが素晴らしかった」としながら「虐殺は100年前のことだが、現在にも日本各地で同じような状況がある。虐殺の根底にある差別を問題にしなければならない」とし、歴史のわい曲が行われるなか、「市民の会」として地道に事実を語り継いでいきたいと話した。
(文・写真:康哲誠)
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