【イオニュースPICK UP】「なぜ殺されなくてはならなかったのか」/関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者の遺族らが記者会見
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関東大震災発生から100年の節目に、震災時の朝鮮人虐殺犠牲者の遺族たちが8月31日に日本記者クラブの会議室で記者会見を開いた。フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)と関東大震災の朝鮮人大虐殺犠牲者遺族会の共催で行われ、日本・韓国で暮らす遺族たちや、『隠された爪跡』『払い下げられた朝鮮人』などの作品で知られる映画監督の呉充功さんが発言した。
韓国の慶尚北道で暮らす権在益さん(66)の祖父・南成圭さんは、1923年9月5日から6日にかけて藤岡警察署(群馬県)で自警団らによって「保護」されていた17人の朝鮮人が虐殺された「藤岡事件」で犠牲となった。外孫にあたる権さんは、「日本政府は必ず真相を究明し、わたしたちを『不逞鮮人』と呼んだ呼び名だけでも撤回してくれることを願う」と訴えた。
慶尚南道から来た曺光換さん(62)は、東京・荒川河川敷の旧四ツ木橋で自警団による暴行を受けるも生き残った曺仁承さんの親戚にあたる。曺さんは、「関東大震災の悲しい家族史は現在進行形だ」と話しながら「日本政府が謝罪をしないのであれば、遺族の3世のみならず4世、5世になっても虐殺の罪を問い続けなければいけない」と力を込めた。
在日朝鮮人2世の金道任さん(86)は、叔父の朴徳寿さんを東京で虐殺された。金さんは、まず朴徳寿さんの長男が証言した記録(「恨をとくために」、増補新版『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』2021年、ほうせんか編、p191-196)の内容を読み上げ、そのあと自らの体験を語った。「私が5歳の頃、叔父の10歳年下の私の母から虐殺について聞かされた。その時の母の悲しい顔が今でも心に残っている。何の悪いこともしなかった人がなぜ殺されなくてはならなかったのか。亡くなった叔父はまだ33歳だった。国には3人の幼子と妻を残していた。死んでも死にきれない叔父の気持ちは計り知れなく、悲しい」と涙ながらに訴えた。
また、この日、呉充功監督が8月に初公開した新作ドキュメンタリーで現在完成版を制作中の『1923ジェノサイド 朝鮮人虐殺100年の歴史否定(仮題)』で遺族が登場する一部場面をスライドで紹介したほか、權泰允弁護士(41、韓国民主社会のための弁護士会所属)が韓国内での関東大震災朝鮮人虐殺に対する取り組みについて報告した。
日本政府や差別主義団体による虐殺否定論がはびこる中で行われた関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者の遺族らの会見は、自らの親族が100年前、この地でいわれなく虐殺されたという事実と、遺族たちの苦しみと悲しみはいまだ癒えず残っているということを示す場となった。(文・写真:康哲誠)