【イオニュース PICK UP】“差別と闘う報道”―認められる 石橋学記者が逆転勝訴
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川崎市のコリアンをめぐって差別発言を行った川崎市議会議員選挙の元候補者・佐久間吾一氏が、神奈川新聞の石橋学記者に損害賠償を求めた訴訟(2019年2月、横浜地裁川崎支部に提訴)の控訴審(中村也寸志裁判長)判決が10月4日に下され、石橋記者の発言を名誉棄損だとして15万円の慰謝料を求めた一審判決を取り消し、原告・佐久間氏の請求を全面的に棄却した。4年に及んだ裁判は石橋記者の完全勝訴となり、差別と闘う「報道の自由」が認められた。
佐久間氏は、2019年2月、自身が代表を務める団体が川崎市内で主催した講演会で、「旧日本鋼管の土地をコリア系が占領している」「共産革命の橋頭堡が築かれ今も闘いが続いている」などと発言。この発言に対して、石橋記者は「悪意に満ちたデマによる敵視と誹謗中傷」と神奈川新聞の記事で報じた。
また、川崎市議会議員に立候補した佐久間氏が2019年5月18日の街頭発言で、川崎市による公園使用不許可(16年5月30日)の決定の根拠をヘイトスピーチ解消法であるとのべたことに対し、石橋記者は「勉強不足」「デタラメを言っている」と発言(実際は、川崎市都市公園条例が根拠となる)。佐久間氏は石橋記者の記事と発言が自身の名誉を低下させたなどと主張していた。
今年1月の地裁判決は、石橋記者の記事の正当性は認めたものの、街頭での発言について、「原告の名誉を棄損した。不法行為が成立する」として石橋記者に15万円の慰謝料の支給を求めた。よって、控訴審では、街頭演説での石橋記者の発言が名誉棄損などにあたるかが争点になっていた。
判決は、佐久間氏への石橋記者の発言について、「事実を基礎とするもので…いずれも真実であると認められる」「違法性が阻却され(しりぞけられ)、不法行為は成立しない」と指摘。その理由としては、「ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉棄損にあっては、…意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、…その故意又は過失は否定されると解するのが相当である」との最高裁判例(平成6年9月9日)を根拠としてあげている。
また、佐久間氏が公園使用不許可の決定の根拠をヘイトスピーチ解消法であると誤って指摘したことについても、「(佐久間氏が)不許可決定の趣旨や根拠について正確な知識を持ち合わせておらず、勉強不足かつ知識不足で、誠実さも持ち合わせず、市議会議員となるにふさわしくない人物であると一般の公衆に受け止められる表現であるというべきだ」と断定。「被控訴人の社会的効果を低下させる表現だと認められる」と断じた。
原判決について弁護団は、「一審判決が確定していれば、報道機関による政治家への取材・批判の自由を著しく萎縮させ、民主主義社会の根幹となす表現の自由を揺るがす危険性があったものであり、 高裁判決は当然のものであると認識している」とのコメントを発表した。
川崎市をめぐっては、2016年から差別主義者たちによるデモが続いてきたが、市民たちが声を上げつづけ、国会をも動かし、同年6月のヘイトスピーチ解消法の成立を促した。しかしその間も選挙活動に名を借りた差別主義者たちの集会や街頭宣伝が続き、苦しい闘いが続いてきた。佐久間氏が起こした裁判は、裁判の名を借りた記者への個人攻撃だと言える。
判決の日、川崎でレイシストと闘ってきた市民たちが裁判所や報告集会に詰めかけた。報告集会では神奈川新聞の秋山理砂編集局長、新聞労連の石川昌義委員長、支援してきた川崎市民、作家の深沢潮さんや、ジャーナリストの中村一成さんらが勝利を祝うメッセージを語り、差別と闘ってきた石橋記者と裁判運動を支えた市民たちの連帯を称えていた。
コリアンが安心して暮らせる社会に
石橋学記者コメント
差別にどっちもどっちはありえない。一審は私の記事を正当と認めながら隅っこの所で(佐久間氏への私の発言を)名誉棄損だとしたが、判決は一審の間違いを正した。報道の自由、レイシストへの萎縮も覆されたことで、公人に対する報道は自由であるし、批判的な取材をして記事を書く正当性も守られた。
差別との戦いは、取材の段階で始まっている。厳しい言葉を投げかけてもレイシストたちはやめない。
佐久間氏は、報道の萎縮をねらってスラップ訴訟をしかけたが、その目論見は外れた。単に外れたのではなく、佐久間氏は、判決によって私が記事で書いたように悪意に満ちたデマによって誹謗中傷する男と認定された。彼は22年5月を最後に、1年半以上川崎駅前に姿を現していない。
何よりこの判決で喜ばしいのは、レイシストに痛めつけられてきたコリアンが安心して暮らせるような地域社会に一歩でも近づけたこと。支えてくれた市民たちのおかげだ。差別がまかり通っていた社会から前進するということを、この判決で見いだせたと思う。(文・写真:張慧純)