【イオニュース PICK UP】関東大震災100年 埼玉、神奈川、千葉、栃木で追悼式
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関東大震災朝鮮人虐殺から100年を迎え、9月1日から3日にかけて虐殺があった関東地方の各地で在日コリアンと日本市民による追悼式が行われた。埼玉、神奈川、千葉、栃木の追悼式の様子をまとめた。
“これからの100年も語り継ぐ”
埼玉県/熊谷市など3市主催の追悼式
埼玉県では9月1日、朝鮮人虐殺があった本庄市、児玉郡上里町、熊谷市などが主催する追悼式が行われ、小林哲也・熊谷市長をはじめとする3市の首長、埼玉県議会の斎藤邦明、飯塚俊彦の両議員、総聯埼玉県本部の李昌勇委員長、総聯北部支部の河皓容委員長、民団埼玉地方本部の崔洛文団長をはじめとする同胞、日本市民らが参加し、県内で命を奪われた朝鮮人を追悼した。
9時から長峰墓地で行われた長峰墓地慰霊追悼式では、吉田信解・本庄市長が慰霊の辞を、崔洛文・民団埼玉地方本部団長が追悼の辞を、河皓容・総聯埼玉県北部支部委員長がお礼のあいさつをのべた。
10時からは上里町などが主催する関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊祭が神保原の安盛寺で行われ、約70人が参加。
続く13時半からは、熊谷市が主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式が同市のメモリアル彩雲で行われた。追悼式で小林哲也・熊谷市長は、「100年前の今日、いわれのない流言を信じた心ない人たちによって、罪のない朝鮮人の方々が本市において犠牲になられた。悲しい歴史を語り継ぐとともに、再び過ちを犯さぬことを誓う」と追悼のことばをのべた。
行政が追悼式を主催するのは朝鮮人虐殺があった関東7都県で埼玉のみ。市民と同胞たちが建てた追悼碑や供養塔の前で続けられてきた。慰霊のことばをのべた山下博一・上里町長は、「これからの100年もこの事実を語り継ぐことが行政の役目だ。語り継ぐことが平和につながる」と力説していた。
上里町の追悼式に初めて参加したという日本人男性(73)は、「もっと地元の人たちが参加してもいいなと残念に思う。殺した日本人の側は悪いことを言いたくないし、殺された朝鮮人の側は語ることが辛い。語りつぐことのむずかしさを改めて感じた。どうすれば伝え続けていけるのかを考えなくてはならない」と話していた。
”今も虐殺が起こりうる”
神奈川/関東大震災朝鮮人虐殺100年追悼会
関東大震災朝鮮人虐殺100年神奈川追悼会が2日、久保山墓地(横浜市)の「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」前で行われ、同胞、日本市民ら330人が参加した。
神奈川県では関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会(山本すみ子代表)が結成された2013年から毎年、公益財団法人横浜YMCA、一般社団法人神奈川人権センター、神奈川県朝鮮人強制連行真相調査団の共催で追悼会を行ってきた。
この日は同胞や日本市民以外にも韓国から遺族、米国から市民団体が参加した。
まず、主催者を代表して山本すみ子さんがあいさつをした。山本さんは横浜、神奈川地域での朝鮮人虐殺の実態を知るためにこれまで取り組んできた活動(横浜でのフィールドワーク、講座など)について言及しながら、「朝鮮人虐殺があったことは事実であり、当時の軍隊などが行った朝鮮人虐殺は明らかにジェノサイドである。わたしたちは朝鮮人虐殺がジェノサイドだったという事実と、今も100年前と変わらない構図で同じことが起こりうる現実をこの場で確認する必要がある」と指摘。これらのことを踏まえて「101年に向かって出発しなければならない」と参加者に呼びかけた。
追悼会では横浜YMCA・佐竹博総主事、社民党党首の福島瑞穂参議院議らが発言。その他にも神奈川朝鮮中高級学校の中級部1年生による「アリラン」の合唱や、曺和仙さんによる追悼の舞、運営委員らによる虐殺犠牲者に思いを馳せる朗読劇が行われた。
実行委員である総聯神奈川県本部横浜支部の魏慶浩委員長が閉会のあいさつを行い、「人間の正義を求め、真実を明らかにし、より良い共生社会を築いていこうとする我々の志と思いにこれからも変わりはない。われわれは政府、地方自治体に対して負の歴史の真実から目を背けず、それを認め、受け入れ、虐殺という蛮行が二度と繰り返されないように具体的な対策を立案し、実行していくことを強く求め続ける」とのべた。
千葉/補修された慰霊碑前で
千葉県内で虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式が9月3日、船橋市立馬込霊園内の「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」の前で行われた。
式には朝鮮人側から総聯中央本部・宋根学副議長兼教育局長、総聯千葉県本部・呉泳哲委員長、地域の同胞、総聯傘下各団体の代表、千葉朝鮮初中級学校生徒らが、日本人側からも友好団体の代表、船橋市議会議員、県内で調査・追悼活動に取り組んできた団体の代表らが参列した。参列者らは、慰霊碑前に設置された祭壇で100年前に殺された人びとに哀悼の意を表した。
総聯千葉県西部支部・呉学成委員長ら3人が追悼の辞を読んだ。呉委員長は、「千葉県内でも確認されただけで12ヵ所で350人あまりが殺された」としながら、「ここに集まった人びとと共に慰霊碑の碑文を胸に刻み、犠牲になった同胞たちの恨みを晴らす」決意を表明した。
千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼調査実行委員会・吉川清代表は、「日本政府や東京都は100年経っても責任ある言動をとっていない。いわれなく犠牲となった人びとが安らかに眠れるよう、記憶をつないでいきたい」と誓った。
日朝友好千葉県の会・池沢みちよ共同代表(船橋市議)は、「不都合な歴史に向き合おうとしない日本政府の姿勢が排外主義をあおり、在日朝鮮人への差別の温床となっている。市民レベルの交流の取り組みが犠牲者の魂を慰め、日本政府を正しい方向に動かすことを信じて引き続き活動を行っていく」とのべた。
「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」は1947年3月1日、在日本朝鮮人聯盟(朝聯)千葉県船橋支部の同胞らが中心となって建立。同年9月から毎年、慰霊碑前で追悼行事が行われている。(63年7月に馬込霊園内に移設)。虐殺100年に際し、主催団体の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式千葉県実行委員会」はクラウドファンディングや募金活動を行い、慰霊碑周りの補修、整備を行った。
朝・日の連帯を深めるきっかけに
栃木/「関東大震災100年大島貞子さんを偲ぶ会」
9月3日、栃木県小山市の常光寺墓地で「関東大震災100年大島貞子さんを偲ぶ会」が執り行われた。総聯栃木県本部と日朝友好栃木県民の会の共催で行われ、同胞や日本の市民ら20余人が参加した。
県下では、朝鮮人が警戒中の自警団をはじめ市民らに駅で列車から引きずり降ろされ虐殺された。
この日の行事は、当時小山市の駅前で群衆に暴行されていた朝鮮人を身を挺して守ったキリスト教徒の日本人女性の大島貞子さんの墓前で行われ、10年ぶりの開催となった。
日朝友好県民の会の渡辺公一事務局長は、「朝鮮高校を高校無償化制度の対象から外すという差別的な暴挙が行われ、100年の歳月を経ても、排外主義、差別主義が払拭されていない。市民レベルで引き続き朝鮮と日本の友好の取り組みを進め」ていきたいと誓った。
続いて、総聯栃木県本部の李在哲委員長は、身を呈して朝鮮人同胞を守った大島貞子さんへの敬意と感謝の意を表しながら、県下において朝鮮人8人が自警団によって虐殺されたことに触れ、「過去の過ちを認め、反省することによってのみ未来は開かれるものだと信じている」とし、100年を刻む今日を朝・日の連帯を深めるきっかけにしようと語った。
最後に、参加者たちは大島さんをしのび、焼香を行い、それぞれが歴史を風化させないことを心に誓った。
県下では、関東大震災時に東那須野駅(現在の那須塩原駅)で虐殺された朝鮮人と日本人を追悼した碑が近年見つかった。総聯栃木県本部では、今後、そこでの追悼行事も含めて、関東大震災時の朝鮮人虐殺の歴史を風化させないための取り組みを続けていくという。